神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri

2006年 11月 23日 ( 3 )

七五三・・11月20日

七五三の記念写真は先週スタジオ「アリス」でレンタルの衣装を着て済ませたけれど、神社のお参りはしなかったから着物を着せてゆきたいというので今年の正月にも着せた四つ身の着物を今の身長に合わせて揚げを解いてしなおした。
もうこれ以上伸びたら着せられないくらいに背が伸びて「おはしょり」の形をとるのがやっとだった。
セットで買った帯揚げはちょっと物足りないので娘たちの成人式に使った絞りの帯揚げを使い、しごきも省略して楽に着せてやった。
雨が上がってよかった。
孫は正装なのに娘夫婦の防寒コートはまさに普段着ではないか?

いいけれどね。
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by ai-bannri | 2006-11-23 00:48 | 日記・あれこれ

法事

19日の日曜日は昨年亡くなった義母と16年前に亡くなった義母の母の法事をした。
親戚は誰とも縁遠くなって、自分の実家は仏教でもないので仏式の法事はしないので呼びづらいのも手伝って自分の子達と義妹の家族だけのひそやかなものだ。
墓前に真言宗の僧侶にきてもらって経文を唱えてもらう。
いつも思うけれどわかる言葉のあたりは心を打つ文言がおおい。
それなのにそのフレーズをすっかり忘れているのは年のせいか?

花が好きだった故人のためにカサブランカなどを混ぜていつもよりは豪華に供え花を組んだ。
なにげなく「きれいなはなでしょう?」と問いかけるけれど、いつものように返答はない。
そりゃ、「俺の金で買った花をなんで俺がほめなければならんのだ」と思う気持ちはあるだろう。

遅れてきた義妹が墓前につくなり花を愛でてくれた。
この二人が同じ親から生まれたのは不思議なものだ。

昼は大枝の辺りにある日本料理「一茶」で。
by ai-bannri | 2006-11-23 00:38 | 日記・あれこれ
夫の勤めの都合であちこちを移動して住むのは不都合なこともあったが得るものもあった。
イザナギ景気が今の景気のありようと比較されているけれど、あの当時の人々の働き振りを思い返せば比較する言の葉にさえ面白いものがある。
いきなりの辞令が出れば次の日には家を探しに出かけ適当に妥協して一週間後には越していた。
お決まりの引越し貧乏で見積もりにきた日通の社員に「雑貨の多い家ですな」と安物の家財を揶揄されたことがある。
半年もたたぬうちに移転の依頼に行った電電公社の担当者は言葉を選んで「引越し貧乏というのですか?」と連れていた娘たちを眺めながら口ごもった。
本当は「貧乏人の子沢山ですね」と言いたかったに違いない。

長女が幼稚園の時に住んだ神戸は良かった。
どこでも住めば都でその場所を楽しんだけれど去るときはまた帰りたいとは思わなかったものだが、神戸を出るときは必ずここに帰ってこようと固い決意のようなものを胸に秘めた。
願いは叶わなかったけれど。

娘のクラスメートの親たちとは親交が続いて私は時に「神戸人」になる。
日を決めた土曜日に私たちは万博記念公園の日本庭園に行った。
まえ、母を連れて行ったときに秋の公園も見たいと日記に書いたのを気にかけてくれて、今年の紅葉を愛でる場所にしたのだ。
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この写真は昨年のものらしい。(写した写真は今UPできない)
私たちは実際の万国博を知っているが、四半世紀を超える年月は都会の丘陵をこんなに素敵な場所にしたものかは・・・・。
さまざまな趣向を凝らした庭の道を歩きながらいつものようにとりとめもない話を聞いたり話したりした。
その積み重ねがあって、私たちは何があっても詳しい説明もなく通じ合えるのがいい。
今自分は岐路に立っているけれど、誰も強く怪しまないし、批判もしない。

土曜日は天気予報は暖かくなると知らせていたのに空は今にも降りそうに曇り、冷え冷えとしていた。おかしいことに友人の一人は友達が言った天気予想の知らせを信じて薄着でやってきて、それを見た友達は「ごめんね」と謝っていた。
家を出るときから寒かったんじゃないのと、あまり役にも立たないマフラーを差し出して私は笑い転げてしまった。
昼食は記念公園の中にある阪急ホテルの日本料理の店「花せんり」で。
by ai-bannri | 2006-11-23 00:23 | 日記・あれこれ