神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

6月8日(水)-本音についてー

先日の新聞に阿久悠さんがエッセイで
「本音をぶつけ合って理解しあえる確率は、そうさな 10%か」
という題で書いておられる。

『本音で語れば体内に沈殿していた鬱屈が解けていくような気がして胸のつかえも去る。
しかし誰も彼もが本音を武器に語り始めたとき空気の中にガラスの破片が混じったような感になり語れば語るほど自らが傷つくことが解ってくる。
本音ってものは本来他人とはかみ合わないものだ。
品性と知性と理性に満ちた嘘を互いに発見して出し合うことである』

ほんの少し前の日本の文化は相手の立場になり、本音を包み隠すのを美徳としてきた。
きつい自己主張はむしろ恥だったのだ。

自分の美意識から外れると罵詈雑言の言葉を礫のように相手に投げつけるのはまさしく本音であろう。
汚い言葉、お前は何様だ、・・・・
本音をぶつけて、相手が喜ぶか。
また修復して前のように親しく接してくれると思うか。

ただ沈黙するのみである。
人と人とのコミュニティーで尊厳と本音とは同居するだろうか。

阿久悠さんはテレビのトーク番組を題材に語っておられたが、テレビもまた劇場で洗練された役者の芝居を観るようにプロとしての語りを楽しみたいものである。
タレントの下ネタや若い頃した万引きなどの手柄話はうんざりだ。
by ai-bannri | 2005-06-09 23:15 | 日記・あれこれ