神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
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一人で西国街道をゆく⑥-桜井の駅跡ー

5月3日
水無瀬駅北にある桜井の駅跡から2日目の出発をする。
最近は忠臣・忠義・愛国などといえばアレルギー反応を起こすらしい。
楠正成を知る若者はめっきり居なくなった。
もっとも長い歴史の間には北朝方からは朝敵と疎まれ、江戸時代あたりから評価は上昇、
黄門様こと光圀の命による碑が神戸の湊川神社に建てられて居る。・「嗚呼忠臣楠子之墓」

桜井の駅は、今から1300年ほど前の古代国家の律令制において主要街道のおよそ4里ごとに作られ、馬や人夫を配置して旅人の便宜を図っていた[駅」の跡だ。。
駅といえばレールを敷いた鉄道の駅を連想するので、鉄道地図で「桜井」という駅をさがしたりする人もいるという。
そういえば最近は「道の駅」はすっかり認知されましたね。
こんもりとした森の中に石碑や、明治天皇の歌碑などが残されている。
石碑や歌碑は文字が難しいのと、苔むしてなお読みにくい・・・・。

無名の武人であった楠正成は後醍醐天皇の「夢見」によって召しだされ、尊氏らとともに王政復古の立役者になった。
だが、公家に重きをおいた恩賞は多くの武士たちの反感をかい、天皇への謀反がおこる。
謀反武士達を率いた尊氏が西国から攻め上ってくるのを迎え撃とうと正成は兵庫の湊へ行く途中、息子の正行(まさつら)とここで分かれる

 青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
 木の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと
 偲ぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か     ー 歌唱「青葉茂れる桜井の」よりー

故郷へ帰れと命じる父に、もろともに死出の旅路をとすがる若い息子に
父亡き後は早く生い立ち大君のために尽くせよと

 いけよまさつらふるさとへ 老いたる母のまちまさん

と涙の別れをする

「青葉茂れる桜井の」歌詞とメロディーは

青葉茂れる
by ai-bannri | 2005-05-10 12:22 | 旅行