肥薩線の嘉例川駅
2006年 09月 23日
霧島の行きかえりにとても気になるところがあった。
「嘉例川駅」と書いた小さな標識があって、その名前はいつか旅番組でみた記憶があるが、道からは建物も線路も見えず、そこを通るときはたいていは空港に急ぐときだった。
かなりの時間をとって、見に行くことにした
明治36年1月15日が開業で当時はこの部分は鹿児島本線だった。
鹿児島本線が今の形になると肥薩線となった。空港から2キロほどの距離で最寄り駅だがアクセスが悪く、利用する客もいなかった。
九州新幹線開業に合わせて運行されている「はやとの風」の停車駅になると、メディアに取り上げられるようになった。
開業以来の風格のある駅舎が愛好者に評判を呼び休日などには私のような見物者も訪れている。
3年前に旧隼人市は18867円でJRから駅舎を買い取り保全に努めている。
無人駅だが付近の人の奉仕の手は行き届いていて100年もたつ建物には息吹さえ感じられる。
一人の男性が、この駅の歴史や付近の話を客に語っていた。
自分のブログに載せてもいいかと乞うと、「では帽子を替えてきます」とシャツも着替えてくれた
福本さん82歳
徴兵で出兵するときも、長崎に就職するときもこの改札を通ったと、改札に立って、今は車椅子を通すので広くなったと言った。
彼は戦後10年ほどは国鉄マンでこの駅に努めていた。
「嘉例川駅」と書いた小さな標識があって、その名前はいつか旅番組でみた記憶があるが、道からは建物も線路も見えず、そこを通るときはたいていは空港に急ぐときだった。
かなりの時間をとって、見に行くことにした
明治36年1月15日が開業で当時はこの部分は鹿児島本線だった。
鹿児島本線が今の形になると肥薩線となった。空港から2キロほどの距離で最寄り駅だがアクセスが悪く、利用する客もいなかった。
九州新幹線開業に合わせて運行されている「はやとの風」の停車駅になると、メディアに取り上げられるようになった。
開業以来の風格のある駅舎が愛好者に評判を呼び休日などには私のような見物者も訪れている。
3年前に旧隼人市は18867円でJRから駅舎を買い取り保全に努めている。
無人駅だが付近の人の奉仕の手は行き届いていて100年もたつ建物には息吹さえ感じられる。
一人の男性が、この駅の歴史や付近の話を客に語っていた。
自分のブログに載せてもいいかと乞うと、「では帽子を替えてきます」とシャツも着替えてくれた
福本さん82歳
徴兵で出兵するときも、長崎に就職するときもこの改札を通ったと、改札に立って、今は車椅子を通すので広くなったと言った。
彼は戦後10年ほどは国鉄マンでこの駅に努めていた。
by ai-bannri
| 2006-09-23 10:51
| 旅行