神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
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島原大変

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6月3日は雲仙普賢岳の溶岩ドームの大火砕流が発生して43名もの犠牲者が出た日だ。
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平成3年6月3日だった。

その前の年あたりから普賢岳はうごめいて噴煙を上げていた。
すさまじいほどの溶岩が流れるのを毎日テレビの画面で見ていた。

災害は毎年日本のどこかで起こって、手に取るように近いところでまざまざとその絵を見せてくれる。
雲仙温泉は島原の反対側に当たって、被害はなく湯元もかれることなく常と変わりはないのに、訪れる人は少なく旅館は閑古鳥が鳴いているという記事を読んでその年(平成5年)は島原から長崎に行くことにした。
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立ち寄った水無川は土石流で埋まりあふれて民家を飲み込んでいた。
1年ほど前に新築したばかりの日本瓦の屋根が痛々しかった。
普賢岳の揺れが止まって火山活動の終息宣言が出されたのは平成8年だった。



金曜日に島原に来たのはJR西日本の半額割引の券をもらって、一番遠い博多まで買って、ついでに足を伸ばした。
ちょうど6月3日の1日前というのは偶然だ。

13年ぶりの島原は今年の1月に付近の町と合併して人口5万人ほどの島原市になっていた。
水無川は防砂の堰がいくつも作られて、普賢岳の前の眉山にはドライブコースが通り、平成新山と名づけられた火山の概要をつぶさに見ることが出来る。島原大変_d0038294_244261.jpg

車を進めていくと目の前に広がる土石流の後が緑色になっている、
草や、低い木も生えているみたい

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まだ10年そこそこにしかならないのに、回復力の早いことだと驚きながら、展望台にしつらえた看板を見ると平成8年から緑化促進事業が施行されているとある。
ヘリコプターを使って木や草の種を撒き、肥料を施し、土壌の質も改善させたとある。

使われた草木の種類は
トールフェスク グリーピングレッドフェスク ウイーピングラブグラス すすき ヨモギ メドハギ コマツナギ イタチハギ ヤマハギ オオバヤシャブシ
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ある程度は人の手も加えないとこんなに早く植物は根付きはしないのだろう。
真っ赤に焼けた火砕流のあの溶岩の上だもの。

ふもとの道の駅には埋没家屋の数軒がすっぽりと屋根で覆われて保存されていた。

島原の歴史を見ると平成の噴火は198年ぶりで、およそ200年前の寛政4年(1792年)に起きた火山活動は絶え間ない土石流、大きな地震、その後の津波で10000人を超す犠牲者を出して「島原大変」と呼ばれている
山は有明海に向かって崩れ落ち海の中にはいくつもの小島が出来て今の九十九島になった。(長崎の九十九ではない)
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海を隔てて天草諸島や阿蘇の連山が見える。
by ai-bannri | 2006-06-05 03:01 | 旅行