神の旅路
2006年 05月 25日
昨日アッシジの聖人、聖キアラの伝記を読んでいるときに、山川登美子の、歌が思い出された。
あやふやな記憶だったので、歌集を見ていたらはじめのころにこんな一首があった
うるわしき神の旅路と答へ(いらへ)まつり ともづな解かむ波のまにまに
(山川登美子)写真
亡くなった姉は学生の頃一人の女性の生き方に深い感銘を受けて洗礼を受けた。
姉が深く尊敬したその人は大学を出てしばらくすると修道院に入った。
自分たち姉妹は離れて暮らしていたがそれぞれが社会人になるとひとつところで細々と暮らしていた。
うららかな春の日にシスターに会いたくてミッションスクールを訪ねていった。
東山の景色も疎水のながれも、新鮮でさわやかだったけれど、常ではない人生を歩き出した人に会うのはひそかな恐れもあった。
校門を通り見かけた生徒に伝言を頼むと程なくして彼女がやってきた。
はればれとした笑顔を見た
シスタークララ、思い出の中の人
聖キアラ、日本ではクララ、アメリカではクレアと呼ばれる
1193年ごろイタリアのアッシジで生まれ家族の反対を押し切ってフランチェスコの弟子となる。
そのときかくまわれたのがこのポルチウンクラだ。
ひとが5,6人も入れば窮屈になるほどの小さな教会だ。
今はきれいな壁画で覆われているが当時はただの「小屋」だったんだろう。
同じ年にサンダミアーノが与えられ「貧しきキアラ女子修道会」を設立する。
清貧の極致を生きたフランチェスコを師と仰ぎ、キアラもまた一生を清貧の中で過ごした。
1253年の臨終の時には聖母の幻が現れた。
彼女の遺体は空気に触れて黒くミイラ化しているものの750年も経った今でも腐敗はしていない。
1265年には彼女を祀るサンタキアーラ教会が建てられた。
あやふやな記憶だったので、歌集を見ていたらはじめのころにこんな一首があった
うるわしき神の旅路と答へ(いらへ)まつり ともづな解かむ波のまにまに
(山川登美子)写真
亡くなった姉は学生の頃一人の女性の生き方に深い感銘を受けて洗礼を受けた。
姉が深く尊敬したその人は大学を出てしばらくすると修道院に入った。
自分たち姉妹は離れて暮らしていたがそれぞれが社会人になるとひとつところで細々と暮らしていた。
うららかな春の日にシスターに会いたくてミッションスクールを訪ねていった。
東山の景色も疎水のながれも、新鮮でさわやかだったけれど、常ではない人生を歩き出した人に会うのはひそかな恐れもあった。
校門を通り見かけた生徒に伝言を頼むと程なくして彼女がやってきた。
はればれとした笑顔を見た
シスタークララ、思い出の中の人
聖キアラ、日本ではクララ、アメリカではクレアと呼ばれる
1193年ごろイタリアのアッシジで生まれ家族の反対を押し切ってフランチェスコの弟子となる。
そのときかくまわれたのがこのポルチウンクラだ。
ひとが5,6人も入れば窮屈になるほどの小さな教会だ。
今はきれいな壁画で覆われているが当時はただの「小屋」だったんだろう。
同じ年にサンダミアーノが与えられ「貧しきキアラ女子修道会」を設立する。
清貧の極致を生きたフランチェスコを師と仰ぎ、キアラもまた一生を清貧の中で過ごした。
1253年の臨終の時には聖母の幻が現れた。
彼女の遺体は空気に触れて黒くミイラ化しているものの750年も経った今でも腐敗はしていない。
1265年には彼女を祀るサンタキアーラ教会が建てられた。
by ai-bannri
| 2006-05-25 16:03
| 荒磯のうた