12月3日-終末
2005年 12月 03日
義母が亡くなった
平成5年ごろから様子が悪くなって8年ごろから人の手を借りないと日常生活が不自由になり、
10年には入退院を繰り返し歩けなくなった
11年の秋に入院して以来今日終止符を打った
享年85
親戚づきあいは子の家族としかしない人だったので連絡するところもない
最後は無理に生かされて苦悶の表情だったのも、看護師さんたちの丁寧な扱いと化粧で穏やかな顔になった。
もう充分に別れはしたと義妹の顔はさっぱりとしている。
そうだ、もう苦しむことは永遠にないのだ
いずれは自分たちも行く蓮のうてなに旅発つのだもの
平成5年ごろから様子が悪くなって8年ごろから人の手を借りないと日常生活が不自由になり、
10年には入退院を繰り返し歩けなくなった
11年の秋に入院して以来今日終止符を打った
享年85
親戚づきあいは子の家族としかしない人だったので連絡するところもない
最後は無理に生かされて苦悶の表情だったのも、看護師さんたちの丁寧な扱いと化粧で穏やかな顔になった。
もう充分に別れはしたと義妹の顔はさっぱりとしている。
そうだ、もう苦しむことは永遠にないのだ
いずれは自分たちも行く蓮のうてなに旅発つのだもの
by ai-bannri
| 2005-12-03 21:10
| 日記・あれこれ