神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
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うたごころー国の守りー

上高地に行く途中に通った郡上八幡は盆踊りと、清らかな長良川の支流吉田川に掛かる橋のうえから高飛込みをする子供(時に大人も)の姿を夏の風物詩でテレビ等で見ることがある

街中を通りかかると「山ノ内一豊の妻の出生地」というのぼりが目に付いた。
近江の浅井のあたりだと思っていたので、あらと思い、帰って調べてみる。
司馬遼太郎氏の「街道を行く」の取材レポートのホームページを見つけた
歴史的に有名な人の出生地は何箇所もあったりする。お腹にいる間に母親が夫について土地をうつれば思いもかけぬところが誕生の地だったりするだろうが、どうも一豊の妻の場合は系図らしきものもあるようだ。
司馬氏が語った最も高い原稿料の篠脇城もこの地にある。

中世にこの地は東氏が治めていたが、都で起こった応仁の乱は全国の武将を東西に分けていがみ合わせた。
西軍の将斉藤妙椿(さいとうみょうちん)に篠脇城は落とされるが
城主、東常縁(とうつねより)はこれを嘆き
・・・あるがうちにかかる世をしも見たりけり 人の昔のなおも恋しき・
と歌に思いをこめます
これを聞いた妙椿は「常縁はもとより和歌の友人なり、歌をよみておくり給わば、所領もとのごとくに返しなん」と伝え、常縁は応えて和歌十首を送ったら城は返還された
感謝する常縁に妙椿は、私のせいではない
 「このごろの知るべなくとも故郷に 道ある人ぞやすく帰らん」あなたの徳が高いからだと返歌を送ったとある
研ぎ澄まされたうたごころが城を守った

詳しくはHP「歌で還った城」
by ai-bannri | 2005-07-26 19:30 | 旅行