神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
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秋の草を供える

万博公園で時間をかけて散策をしたがまだ4時にもなっていない。
母は出かければ必ず夕食も外で取るので時間をどうやって費やそうかと思案した。
北摂の山々をドライブしたら彼岸花や田のコスモスが見られるかもしれないと音羽のあたりや銭原を走ってみる。
こんな景色は心が和むのだが母はどうなんだろう。
あまり反応も無い。
竜王山の中腹の忍頂寺 (にんちょうじ)近くの竜王山荘に立ち寄り釜飯を食べる

出口あたりで母にとも無く「今度はミニ懐石にしようね」というと、男性社員が「ご予約をお願いします」

ここにくる途中の見山の里でコスモスやホトトギスなどの秋の花を大量に買った。
一対の花束にして次の日姉の墓前に供える
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by ai-bannri | 2006-10-10 21:10 | 荒磯のうた
d0038294_2124957.jpgみのもんたがテレビでしゃべったら、ビニール袋を手に何人も入ってきて山の斜面に咲いていた、アザミの花を根こそぎ盗って行った。
毎年のことだけれど今年は特にひどい。
プランターで栽培しているのまで取っていこうとする。
笹ゆりも以前はもっとあったんだけれど、盗む人は茎を持って力任せに引き抜くので土中のゆり根に穴が開きそこから腐って根絶やしになっていく。

高槻花菖蒲園の中で、草木染や泥染めで服やスカーフを作って販売しているマダムが嘆いていた。
今は珍しい綿ローンのブラウスを「預かったんだけれど」と格安で販売していて、Oさんが1枚買った。
その後いろんな話に花が咲き、「ハーブティはいかが?」とそこに茂っているミントの葉をちぎってお茶にしてくれた。
ハーブの効目はすぐにでて、体がポカポカしてくる。

マダムはとても多趣味な人で、古布や古裂を使ってワンピースやジャケットを仕立てている。
店の周りの田を少し借りてハーブ園を作りたかったけれど森林組合の意見が合わなくて断念したという。
彼女はもう15年もここで店を出しているが、未だに土地の人からは「よその人」扱いのようだ。

日本の農政の一端のさらに端っこを見たような気がする。
おまけにその予定地は椎茸の原木の貯蔵地になってしまっている。
5年ほど前に来たときはそこも見事な花菖蒲が咲いていたのに。
管理している組合の農家の人たちが高齢化で手が行き届かないのだそうだ。
完璧に手入れされた、「永沢寺」や「なばなの里」を見た後だけに地元の名所が寂れていくのはつらい。
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菖蒲の後はアジサイ園として開園するのだけれど、目の肥えた観光客を満足させられるのだろうか?
高槻花菖蒲園入園料金800円
場所 大阪府高槻市大字田能小字 法谷1-1
お奨めの花 3月 桜 4月 水芭蕉 5月 石楠花 6~7月 花菖蒲 7月 あじさい
秋には付近のもみじ葉が彩りを添える。
by ai-bannri | 2006-06-24 21:40 | 旅行

川端通り―5月5日

d0038294_2347333.jpgこどもの日に家族ドライブをしたいから「車を貸して」と、遠慮がちに三女が電話をしてきた。
あの家の車は去年の八月に壊れて廃車していらい、車無しの暮らしである。

何の不自由も無い。

駅から歩いて5分もかからない家で。
買い物も医院も近い。
子供は幼くて習い事の送り迎えなど先の話だ。

それでもたまには要る用事もあるだろうから気兼ねなく申し出てくれと言っていたが、
とんとそんな電話もかかってこない。

まったく頼りにされないのも頼りないものだ。

で、今日はウキウキとガソリンスタンドに出向き満タンにしてちょっときれいにしてもらった。
いざというときのロードサービスのカードも確認して、車のデリバリーだ。

三女の家で孫のご機嫌をちょっととって帰りは途中まで送ってもらい中ほどから歩いて帰ることにした。


交差点の茨木童子を写真に写して少し下り神社に寄ってみる。
大安なのか、こどもの日のためか宮参りの家族が幾組みもいた
d0038294_23552074.jpgどの子もすやすやと気持ちよさげに抱かれて寝ている。


d0038294_041319.jpg拝殿の裏手に回ると「黒井の清水」の石碑がある。その横に竹を組んだ蓋できっちりと閉じられた井戸もある
豊臣秀吉の茶会の水も献上したことのある名水だ。
江戸時代にはこの水を樋で流してこの付近の家に送っていたらしい。


茨木神社は茨木城の跡地にある。
門のひとつは茨木城の搦め手門を再現している

城の周りは昔は茨木川が流れて天然の堀を作っていたのだろうか。
しかし後年は天井川と成り、たびたび洪水を起こしたため昭和24年に市街地の流れを上流で切り替えて安威川に合流させた。
大正昭和の頃は、茨木川の水を茨木中学に引き込んで50メートルプールを作って鍛錬していたらしい。
川端康成もこのプールで泳いだのだろうか。

下流域は廃川となって荒れていたのを40年代に全長およそ5キロの公園にした。
7万本の木が植えられ、中でも1500本のソメイヨシノの満開の眺めは近辺では引けを取らない見事さである。d0038294_0325499.jpg


西側が桜通りと名づけられ東は川端通りだ。
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桜祭りの喧騒さはすっかり消えて今は若葉がまぶしい

川端どおりを散歩してかえる
この地の偉人川端康成の記念館が一角にあるために名づけられた。


歩けば足つぼを刺激して健康に良い「トッキーパワー」なるものもあってほほえましい
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右は街中に見事に咲いた街路樹はなみずき
by ai-bannri | 2006-05-06 00:38 | 日記・あれこれ