神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
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<   2007年 05月 ( 7 )   > この月の画像一覧

心配事

鹿児島の家にはテレビは無いが低い音で鳴らしているラジオはニュースも拾い上げて知らせてくれる。
インターネットの速報を見れば、たった今あった重大ニュースも隣の家の出来事のようにとどく。
人気のある歌手と現職の大臣が死んだ。
松岡さんは毀誉褒貶それぞれだがメディアは悪口ばかりを言い募るので聞き続けると眉はつばでいつも濡れている。
農政には英知を発揮して悪い印象をぬぐってほしかった。
  
合掌


年金制度が施行されたとき、母の住民票は自分のところにあった。教えてくれる人があって手続きをして掛け金を払った。
月額にして100円だった。

親戚の年寄りは1円も払わずに年金を受給して
「お上のおかげで焼酎代が助かる」と喜んでいた。
1000円だといっていたが、支給は2ヶ月に一度だから月額500円だったんだろうか。
大学卒の給料が15000円ぐらいのころだ。

母は仕事をやめて兄の扶養家族になり家事一切を任されてはいたが兄夫婦の家計も潤沢ではなかったのだろうか、いつも「小遣いに不自由している」とぼやいていた。
食材をケチってへそくりをすればよかろうと今では思うが、母の性分では100円で買ったものを150円したと言えない。

姉と暮らしている私たちのところに日曜日の毎に泣きに来るので、たまにはバスツアーに連れ出していた。
一人でも参加できる百貨店の友の会などを教えてやって1年ほどは会費を払ってあげた。
やがて姉も私も結婚して母の愚痴どころではなくなったし、義姉も「義母に小遣いをわたす」事に気がついて、母の旅行は日本全国を網羅するようになった。
65歳で年金の受給が始まったときにはとても喜んでいた。
「万里のおかげだ」といわれたときは何のことかと思ったが手続きをとって月100円の掛け金を払ったことだった。

そのころから母から孫たちに祝い金が来るようになった。
内孫も外孫も差別なくきっちりと忘れずに。

年老いてからは日にちのかかる旅行や海外はいつも付き添っていたが全部母の積み立てた年金がその資源だった。

今、国民の年金は数多くの問題を抱えているがマスコミや野党の政治化がこぶしを振り上げているのは違和感がある。
事務管理のしかたを民間の銀行とと比べているが、社会保険庁の仕事ぶりも国会で論じてみろ。


母が兄の家で家事が出来なくなって、「面倒をみてもらう」状態になっていらい私の憂鬱は富士山よりも高くフィリッピン海峡よりも深くなった。

兄の言動もつじつまが合わなくなった。
母が元気なころは彼女の老後の話に及ぶと、金はいくらでも出すというかと思えば、いまはディサービスの料金にさえ敏感になっている。

大都会で母の終の棲家を準備するには大金が要るが、故郷のここならばわずかの資金で済む。
それでもベッドを買ったり車椅子を手に入れたりさまざまなことがあって、母は私の困窮をみやって大阪に帰ったときにお礼もかねてと少し余分にくれた。
年金を蓄えているといっても高が知れている。
誰からも援助がなければ母と自分のわずかばかりの個人年金が頼りなのだ。

痛めたからだがよくなるまではと一人で帰った私のパソコンに後を追うようにして兄からのメールがあった。
母の預金通帳の記載金額と財布の中身が合わない。
「介護は名目で目的は母の金だったか」とわずか3行。
あいさつ文も、身体の気遣いも何も無いメールだった。

余分に貰ったのは10万円ほどだ。

甥に言わせればお互いのコミュニケーション不足が因だというが。それは無理な相談だ。
あの二人は自分の思いを言うだけで人の言葉を聞く耳は無いのだから。

こんなことを思われていた抱けでも腹が立つが、母の言い分も不愉快だ。
貸せといわれたから貸した→→万里はお金が無いのでかわいそうだからあげた。

『全部おろしてあんたの好きにして・・・・』なあんて言っていたくせに。

腹が立ったついでに昔のことも思い出した。

嫁姑で義姉が兄に不平を言うと兄がすぐ反応して母を責める。
すると母は「それでも、万里がそういうた」
で、兄はいつ会っても私を猜疑の目で見る。

勘弁してくれ。日本各地放浪の猛烈社員の妻で4人の子供を抱えて耳の遠い母親に電話などかける暇があるかいな。

へんてこなメールを貰ったショックが大きくて一月ほどをポカ~ンと過ごしていた。
ほんとうは20日ごろに息子に母を連れて来てもらおうと思っていたが、甥に言わせると「あんたの息子一人では信用ならん」らしい。
それもまあもっともではあるので、また大阪に帰ることにした。
明日、息子が迎えに来てくれる。
3日ほどこのあたりを観光してもらって、ハンドルを時々盛ってもらって陸路を取って大阪に。

母の介護は困ったことではあるが、もうひとつ心配事がが増えた。

およそ、ひとを不快にさせるメールなりはがきなりだすときは推敲しないかなぁ???
タイピングミスで「KAIGO」を「KIGO」とうって「季語」に変換されているのに気がつかないなんて、そんなことをするような人ではない・・・・兄の精神状態は大丈夫なんだろうか。

電話先で私の様子を察した息子が「伯父さんの心配は伯父さんの家族がするんやで、余計な心配なんかしんどけよ」
by ai-bannri | 2007-05-29 00:12 | 日記・あれこれ

犬飼の滝② 和気湯

5月9日は整形外科に出向いてレントゲンを撮りリハビリの治療をほどこして貰う。
「悪くはなってませんね。良く我慢しましたね」

もう、はずしてもらえませんか?

「せっかく我慢したのに、もうちょっとでしょう」

このギブスは重さはどれぐらいなんだろう。
・・・・・
温泉の「全身浴を」したい。

午後は気になっていた犬飼の滝を見に行く
和気神社にも参って、展望台の上から滝を見下ろして付近を探ってみても下へ降りる道は無いような気がする。
そろそろと細い道を引き返すとさらに小さな分かれ道がある。
2キロほどたどると広い駐車場に出た。
駐車場のの横手には家があって庭先にこいのぼりが二組立っている
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このあたりは幟に子供の名前をしるしている。
ここは和磨君と祐太郎君だ。

少し歩くと和気湯の札があった
「日没後の入浴はご遠慮ください」とある。
個人の所有らしい。あのこいのぼりの家のお風呂かしら。
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おりょうさんと新婚旅行に来た坂本竜馬がこの地を痛く気に入って10日も滞在したと土佐の乙女姉さんに書き送っている。
彼は塩浸温泉にも入ったらしいから新婚旅行は温泉三昧だったのか。

ひとけはほとんどないが、この温泉に入れる好事家は居るんだろうか。
手を入れれば湯加減はころ良い。

中津川のせせらぎの心地よい音を聞きながら過ぎの木立を歩いていく。
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道はひとつしかないが立て札は随所にあって何の不安も無いが。
ごみなど落としたらいけませんよ!
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300万だったり1000万だったり・・・・

10分ほど歩いただろうか目の前に大きな滝が見えてきた
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展望台からの眺めよりずっと良い
近づくとこんな感じ
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詳しい看板があって滝の規模や竜馬たちのこと、この滝を読んだ歌人たちの歌などが記してある。
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瀑布の高さ36メートル
by ai-bannri | 2007-05-14 23:55 | 旅行

カーネーション

今、チャイムがなって花が届いた
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次女からだけれど子達がみんなで送ってくれたのだ。
ありがとう
たくさんあるつぼみが咲ききるころには元の体になる。

母が居たときは花などを取り去ってすっきりさせていた玄関にまた台を置いて飾ってみる。
by ai-bannri | 2007-05-14 18:37 | 日記・あれこれ

犬飼の滝①

和気神社と犬飼の滝はひょんなことから見つかった。
妙見温泉は国道沿いのありようはあまり特徴も無い温泉街だ。
湯治場の感じがする
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一泊二食で5千円ほどで何日ものんびり出来そうだ。
だが、知る人ぞ知る・・・・いいや日本中に知れ渡る「雅叙苑がある

2泊ほどすれば雅叙苑の醍醐味を味わえるそうだ。
2泊で最低ろくまんえんはするけれど。(゜o゜)
わお!2か月分の生活費(除く家賃)だ。

場所だけでもご案内しましょうと狭い山道に入っていった。(5月6日)
入り口を通過して
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たしか天空の森というとんでもない施設もあるはずと探しながら車を進めるうちに。
・・・これは方向違いだった・・・
途中から道路が広くなって傍に展望台のようなところがある。
車を寄せて眺めてみると大きな滝が見える
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天気も思わしくないし、自分は胴体に土管のようなギブスをまいているし・・・・
その滝を探検しようという気分ではなかった。
すぐ近くにある和気神社を参拝した。
かすかに藤の花が見られた。

次の日に大阪へ帰った客人からメールがあった。
「昨日見たあの滝が今、ワイドショーで話題になっているよ!」
 誰かが身投げをしたらしい

犬飼の滝②へ
by ai-bannri | 2007-05-14 18:05 | 旅行

えらい人 和気神社にて

「あんたたち、宮崎から?あんたたちは偉いねえ」
大きな声が高いところからして思わず振り返った。

咲き終わった藤棚の花柄を手入れしている男性が7人ほどの女性たちに話しかけている。
東国原さんを知事にした「あんたたち」は偉いというのだ。
「日本中の人が宮崎県の知事の名前を知っているよ、鹿児島の人は誰も知らんよ。知事が伊藤だなんて」

知っているじゃん・・・・・

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鶏ウイルスのときも風評被害がひどくなると心配したけれどあん人のおかげで何にもならんかったもんね。女性の一人がつぶやいていた。

和気神社はGWに滞在した客人とドライブしてひょんなことから見つけた。
近くにある「犬養の滝」をもう一度見たくてここにもやってきた(5月9日)
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岡山県の和気神社は有名だが、こんなところにもあるなんて、とあちこちにある案内板を読みふける。
称徳天皇の寵愛を受けた僧、弓削の道鏡に天皇の位が脅かされていたとき和気清麻呂は宇佐八幡の神託を受けに豊後に向かいます。
旅の難儀に足が萎えて動けなくなったとき白い猪300頭が現れて清麻呂を宇佐八幡に導いた。
[君臣の秩序を重んじ皇位には皇統から就けよ」のご託宣を持ち帰った清麻呂は称徳天皇の怒りを買い名前を「ワケベノキタナマロ」と変えさせられ「大隈の国」に流された。・・・・のだ。

この地が清麻呂ゆかりの土地だというのは長らく知られていなかったが、幕末のころ、島津斉彬公は三条実美の依頼を受けてこのあたりを調べこここそが清麻呂公ゆかりの地と定め自らしるしの松の木2本を植えられた。
(松ノ木は後年枯れたので島津家の子孫の方が楠2本を植えられて今は大木に成長している。

和気神社には狛犬の代わりに猪の石の像がある。
なんと本物の白猪も飼われている、
愛称が「あいちゃん」だなんて・・・・悪い冗談のような気がしないでもない。

藤の花は鹿児島は4月の下旬ごろが見ごろのようだ。
宮崎の人が口々に来年は必ず4月に来ようねといっていたように、私もきっと・・・
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犬飼の滝につづく
by ai-bannri | 2007-05-13 23:03 | 旅行
自分は高齢者の介護についてはずぶの素人ではないが、それほど詳しくは無いと思っている。
6年生の夏、田舎に帰らされて祖父母の元で暮らした。
あの時大学生の兄は何日もバイトに励んで私が着て帰るワンピースを買ってくれた。
目を細めてみる母や姉の前に立ち、くるりと回ったり両手を掲げたりして喜んだ覚えがある。

秋に祖母が畑仕事の帰りに転んで骨折した。
そのまま寝たきりになった。
祖父が看たが、祖父は次の年の7月15日に亡くなった。
姉と私は、朝、祖母の「おまる」を掃除してから学校に行った。
家事は交代でした。

祖母はいざって家の中は動けたのであまり世話に苦心した記憶はない。
3年して亡くなった。
臨終には間に合わなくて「万里の名を呼び続けた」と伯母に聞かされると悲しくなった。


後から思えば私は「介護」の真似事をしていたのかもしれない。


姑は認知症だった。
在宅で2年ほど看たけれど、攻撃的な性質は穏やかになって私を慕ってくれたのであまり苦労は無かった。
身の回りの世話は長女もしてくれたので楽だった。

ひどく大変な思いをして100歳近い人の世話をしている友を何人か見ているので、自分がしていることは真似事だったと思っている。

母が、私の怪我を気遣ってくれている。
大阪に帰って貯金通帳を持ってすぐ鹿児島に来る、また万里と一緒に住むといっていたのが、骨折の治療は一人でしてくれと言っていた。

他人への気遣いが出来る人の世話は「介護」ではないような気がする。
自分も得るものがあるからだ。

ただし、目下のところ自分にはお金が無い!
母と暮らすために時間は全部母のためにと思っていたので稼がなかった。
後悔しきりだ。
介護は名目で母の貯金が目当てだろうといわれた。
5万円ほど余分に母から貰ったのを怪しく思われたらしい。

高齢者の世話をする人は周りに理解されることがまず第一だとおもう。
出来れば・・・・
感謝してくれる人があればなお良い
by ai-bannri | 2007-05-07 22:44 | 荒磯のうた

迷子になった郵便物

大阪に一時帰って処処のことを済ませ(済んでいない!)4日の夜帰宅したら郵便物を局に預かっているという預かり票がポストに入っている。
5日まで預かると書いてあるがあいにく5日は家を7時ごろには出たい。
局に電話して営業時間を聞くと日曜祝日はAM9:00~AM12:00だという。
そりゃちょっと困るのでもう少し預かってくださいと頼んだら、12日まで預かるという。

5日はひどい雷雨で遠くまで行く予定を変更してこのあたりをうろうろした。
11時ごろ郵便局の前を通ったのでもらいに行った。

「ありません。誰かが受け取ってませんか?」

いいえ・・・・キッパリ

「ではもう少し時間をもらって探してみます。こちらから電話します」

6日にかかってきた返事には仰天した。
『速達だし、留守だし大家に尋ねたら「誰が住んでいるかわかりません」との返事なので送り主に返しました』
え~~っつ え?え?
家主との契約書には私と母の名前を書いてあるし、3回も挨拶に行ってそのつど芋やキャベツや手作りの菓子やらもらって、母を連れて挨拶に行ったときは土産のイカナゴの釘煮を喜んでくれてまた大量の芋を貰ったのに。

そんなアホなこと・・・あるかいな。
も一回大家さんに聞いてみて、報告してください(私が聞きに行っても良いけれど)

もう甥の長女からの曾ばあさんへのお便りは大阪に返っているし、今は母も大阪なので、仕方が無い。
ドルフインポートで美味しいスイートポテトを見つけたので甥の長女・次女姉妹に小さい箱を送る。

その行為はとてもありがたくうれしいのだもの。


今郵便局からかかってきた返事。
大家さんは「薩摩万里」さんが住んでいていま大阪からお母さんが来られているが、その人がその郵便物と同じ人かは知りません。」

ほんとかよ。

小泉純一郎さんの気持ちが理解できた出来事でした。
by ai-bannri | 2007-05-07 20:06 | 荒磯のうた