神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

<   2006年 09月 ( 12 )   > この月の画像一覧

茶室に秋

習っているお茶は表千家で、今の講師は前の先生のお弟子さんで、私の初歩の手ほどきもしてくれた。
前の先生が高齢を理由に引かれたので去年の講座から受け継がれている。

自分は免状を取るつもりはなくただその雰囲気を楽しんでいるだけなので稽古は毎年同じことの繰り返しだ。
上級へ進もうとしたらご自宅の稽古場に行かなければならない。

茶の湯の奥義を極めるのは並大抵のものではないと思う。
奥も深いし、幅も広い

d0038294_8491616.jpg

床の間に秋の雰囲気が漂っている
竹で編んだ筒に、秋海棠(しゅうかいどう)、むくげ、段菊、シュウメイ菊、銀水引、ヤハズススキがいけてある。
段菊が珍しい。
調べたらクマツヅラ科でカリガネソウ属で名前は菊だが姿は似ない
d0038294_8494425.jpg
季節の花300より

これらの花はすべて講師のお宅の庭にある。
茶の心は花の心だろうか、丹精こめて育てないと、山野草などは庭ではなかなか育たない。

この花は戴いて持ち帰り姉の写真の前に供えてある。

彼岸の休日には母を連れて実家の墓参りにいった。
北摂の山を切り開いて巨大な墓苑が作ってある。
そこに父と白血病で夭逝した甥と、姉の霊を祭ってある。
帰り道木立の間から淀川をはさんだ北河内の遠謀が見えるところがある。
車を止めてしばし眺める
d0038294_8595162.jpg


あと中央環状沿いの「シャロン」で食事
実家に送ったら、ガレージを空にして宴会の最中だった。二人の甥の一家、
「らぼ」のホームステイにきている、韓国のセハンさん(新春と漢字では書くらしい)
21歳、168cmの美人だ、
ガレージに掛かるたっぷりとした萩の花が満開で美しい
by ai-bannri | 2006-09-27 08:49 | 日記・あれこれ
先週の日曜日に甥の父を見舞った。
肺の状態はあまり改善されておらず、気管切開を施されたままだ、
痰を除去する回数は減ったが粘っこい痰がきれないと看護師さんが言っていた。

喉がふさがらないとものは言えない、寝たきりのまま2ヶ月あまりが過ぎようとしている。
しゃべれない人の見舞いはつらいものだ。

この日は義兄の妹が来ていた。
30年ぶりにあう。
長い年月のうちにはさまざまなことがあっただろうが、健康そうなのは見ただけでわかる。
テキパキとした気性は昔のままで、雰囲気は少しも変わらない。
兄を思う妹の心がありがたくて、甥のためにひそかに安堵した。

帰りは長い寄り道だけれど、甥の住まいに送ってゆく。
なに、その時間にいく年月のあれこれを聞きたいためだ。

長女の結婚を祝って渡すものがあると秘蔵のワインをプレゼントしてくれた。
d0038294_23571939.jpg
シャトーラフィットロートンシルト
まだ、長女は狭い家に仮住まいなので、新築のマンションに引っ越したときこれが乾杯の美酒になるかしら。
by ai-bannri | 2006-09-23 23:58 | 日記・あれこれ

肥薩線の嘉例川駅

霧島の行きかえりにとても気になるところがあった。
「嘉例川駅」と書いた小さな標識があって、その名前はいつか旅番組でみた記憶があるが、道からは建物も線路も見えず、そこを通るときはたいていは空港に急ぐときだった。

かなりの時間をとって、見に行くことにした
d0038294_10211582.jpg


明治36年1月15日が開業で当時はこの部分は鹿児島本線だった。
鹿児島本線が今の形になると肥薩線となった。空港から2キロほどの距離で最寄り駅だがアクセスが悪く、利用する客もいなかった。
九州新幹線開業に合わせて運行されている「はやとの風」の停車駅になると、メディアに取り上げられるようになった。
開業以来の風格のある駅舎が愛好者に評判を呼び休日などには私のような見物者も訪れている。
3年前に旧隼人市は18867円でJRから駅舎を買い取り保全に努めている。
d0038294_10394267.jpg

無人駅だが付近の人の奉仕の手は行き届いていて100年もたつ建物には息吹さえ感じられる。
一人の男性が、この駅の歴史や付近の話を客に語っていた。
自分のブログに載せてもいいかと乞うと、「では帽子を替えてきます」とシャツも着替えてくれた
d0038294_10461056.jpg

福本さん82歳
徴兵で出兵するときも、長崎に就職するときもこの改札を通ったと、改札に立って、今は車椅子を通すので広くなったと言った。
彼は戦後10年ほどは国鉄マンでこの駅に努めていた。
by ai-bannri | 2006-09-23 10:51 | 旅行

偉大なひと 

ふるさとにいる従姉は母方のいとこの中ではもっとも長齢で自分は幼いころに彼女に「オムツを替えてもらった」らしいが、私にその記憶はない。
物心ついたらそばに「ねえさん」はいなかった。
長女だったので苦労した。
おまけに下の弟妹の出来が悪くて、何かにつけては姉に頼っていた。
伴侶は若いときに列車事故にあって片足と片手はない。
もう一方の手も指は2本欠損している。
筆舌に尽くせぬ苦労をしたと思う。
まったく収入のない伯母を90歳でなくなるまで扶養していた。

天は彼女を見捨てずに美貌と明晰な頭脳を与えたが、かえってそれが邪魔をしたこともある。

子供はとっくに自立して孫も成人している。
東京と北海道で。

夫君は障害者だがボランティアでさまざまなことをしている。
毎朝付近の子達が学校に行くころは登校の付き添いをしている。
法律に明るくてよろず相談所を無料で開いている。
環境パトロールは県に委託されている。
いろんな用事のためのいろいろな帽子をいくつも見せてくれた。
習いもしないのに絵もうまい。
主に外国女性の裸体のデッサンをしている。
郷土に縁のある小泉首相のデッサンもあった。
今年81歳だ。
いとこは何歳だろう、70歳はとうに超えているが、とても若く見える。
先日の敬老の日は彼らを敬うためにあるような気がする。
by ai-bannri | 2006-09-23 10:11 | 旅行

遠きにありて思うもの

走り抜けた坊津も夕食を食べた野間池・大浦も去年の11月に平成の大合併で統合されて南薩摩市になった。
元は川辺郡だから川辺市でもいいみたいだけれど、川辺町というのがあって、どうもそこは知覧や頴娃と一緒になりたいらしい。
中学校の恩師で今は郷土歴史家の東先生のお話によると、昔は加世田郷と呼ばれて、近くの万世あたりの港に東シナ海の向こうから物資が陸揚げされて、それは南薩鉄道で鹿児島に運ばれ中央に届いていた。明治の終わりごろには人口は5万人を超えて密集し県の施策で大隈半島や日向の都城へ「移民」させられたのだ。
都城は宮崎県なのに言葉はすっかり鹿児島の方言なので不思議に思っていたのがそんなわけがあったのだ。
あそこに親戚のいる人も多い
荷物が万世の港から長崎の港に陸揚げされるようになるとだんだんと町の活況はうすれ、やがて鉄道は廃線となり、学業を終えると東京や京阪神にでて、勤めを終えても帰郷することはなく過疎の道をたどっていった。

鯨が迷い込んで浜に上がって身動きもつかなくなったニュースで賑わうことぐらいかなぁ。
d0038294_364180.jpg


座礁鯨の記念碑
平成14年1月22日、この浜に14頭のマッコウクジラが座礁した。
悪天候の中一頭は助けて海に返したが残り13頭は次の日までに死んだ。
町はこの鯨の処置におよそ10日の日程と6525万円の費用を費やした。
全国的なニュースになったのはいうまでもない
by ai-bannri | 2006-09-22 03:00 | 旅行

風車と海

波に任せて船を漕ぎ出せば着くところの予想は出来るのだろうか。
北極星や明星などは千年も万年も変わらないところで輝いているのだから、賢しい船乗りはそれを当てにうまく乗り切って恋しい人の待つ港にその身をはこんでいくだろう。
なすすべもないひとは思いをよせるのみか。

山川の砂蒸し温泉は砂はさらりとしていた。20分ほど蒸された身体は思いなしか軽くなったような気がする。
浜伝いにドライブをすればバックミラーにすばらしい景色が写る。
思わず降りて写真に撮る
d0038294_16503254.jpg

開聞岳は924m その美しい姿から薩摩富士と呼ばれる。
麓には大うなぎで有名な池田湖がある

左に海、右に茶畑を眺めて頴娃から枕崎に入る
ひところは遠洋漁業で名を馳せた枕崎は指宿から故郷にたどる道中にある。
港を離れて山の中の国道を行けば近いけれど、天気も良いので坊津を回っていきたくなった。

20年ほど前、まだ子供たちは誰も幼いころに母の供であの道をドライブしたことがある。
子供ゆえ、歴史などにはとんと関心も示さずに単調な道行にみんなうんざりしていた。
私は一杯のコーヒーが恋しくて家影があれば頼みにしたがついにのどの渇きは潤うことはなかった。

故郷に住めば歴史の里はまた来ることもあるので今日は道だけの下調べのつもりで。
海岸は山がそのまま海に落ちるように険しくてわずかな土地に数件の家がへばりつくように建っているところがある。
いくつにも入り組んだ入り江はリアス式海岸だ。
d0038294_17191071.jpg

一乗院という古い寺があって、坊さんがいる港だから「坊津」といわれるようになった・・・という説がある。
日本三津のひとつで、あとの二つは福岡の博多の津、三重県の安濃の津
遣唐使や中国からの使者は多く坊津を経由して行き来をしていた。
足利時代にも貿易港としてにぎわったが江戸時代には幕府の鎖国政策で国際貿易港としての役割はなくなってしまった。
古くは「鑑真和上」が苦難を乗り越えてこの港に到着したことが知られている。
入り江はいくつもあって、坊の浦、久志浦、秋目浦など。
鑑真が上陸したのは秋目浦。

背後の山には巨大な風車が並んでいる。
9基ほどあるだろうか。
風は凪いで海も穏やかだけれど、風車の向きはそれぞれだろう、いくつかがゆったりと回っている
d0038294_17264512.jpg


このあと、大浦町の野間池にある笠沙えびすで夕食をとる。
d0038294_1816117.jpg


さくや姫御膳1550円
土地の魚の刺身盛り合わせ 焼き物 豚の角煮 温うどん 茶碗蒸し

どれもおいしかった。魚の新鮮なのには脱帽
でも、茶碗蒸しにお砂糖を入れるなんて・・・・・
by ai-bannri | 2006-09-21 17:26 | 旅行

指宿の知林ヶ島

大隈半島の根占港からフェリーボートに乗って対岸の山川港にわたった。
金港湾には無数の養殖いかだやブイが浮かんでいる。
ここは魚を育てる海の畑だ。
船の上から指宿を見ると手前に小さな島とさらに小さな島が見える
知林ヶ島だ。

指宿の町の背後にある小高い丘魚見岳に上り島を眺める
d0038294_3135017.jpg

周囲3キロ高さ90メートルの無人島で指宿カルデラの外輪山の一部をなしている。
干潮時には長さ800メートルの砂州が出現して歩いて渡ることが出来る。
今がちょうどその干潮時でチャンスなのだけれど、履いている靴が砂浜を歩けるものではないので山の上から見ているのだ。
もっと計画的に旅をすればよかった・・・・・・。

砂州の付け根の田良御崎はキャンプ場になっていたが夏休みも過ぎてしかも平日とあっては利用している姿もないが砂州を歩いている人影はたくさん見える
d0038294_3291149.jpg


知林ヶ島の情報は知林ヶ島ホームページで、砂州出現の日時なども

根占ー山川フェリーボート 3メートル未満1850円 ~4m2500円 人は600円

この後山川の砂蒸し温泉を楽しんでふるさとに向かった
砂蒸し温泉 大人800円(貸し浴衣とも)
by ai-bannri | 2006-09-20 03:31 | 旅行

佐多岬=9月8日

生まれて育ったところといっても鹿児島は広い。
県庁のある鹿児島市は小学校の修学旅行と中学の学校行事で行った程で、大阪に住み着いてから観光気分で訪れた方が多いくらいだ。
大阪城の天守閣に登ったことのない関西人がいるようなものだろうか。
大隈半島の町の名前なんて志布志と鹿屋と垂水ぐらいしか知らない。
もう、ずいぶん前になるが、就職して3年ほどのころ母と従姉妹を連れて九州一周の旅をしたことがある。
貯まっていた貯金を全部使い果たした。
ほとんどの記憶はおぼろげになってしまったが、佐多岬から指宿にフェリーボートで渡ったとき、船の横を飛び魚の群れが「飛んで」いた。
白い波が虹を生み、そのアーチをくぐるように青い魚の背がひかり、羽根(背びれか?)もくっきりと見えた。

今は佐多岬からの船は出ていないので、湾内では飛び魚は見られないのだ。

与次郎が浜のホテルを後にして桜島に渡る。
早朝に見た島は八合目ぐらいまでは見られたのに麓を走るころにはすっかり雲に覆われて、どれが霧やら噴煙やら区別もつかない。

前にバラ園を見たときに鹿屋の街中はみたので、浜伝いに2時間ほどを走ると佐多岬ロードパークの入り口に着いた。d0038294_1585387.jpg
このあたりには猪も出る。ゲートにいた人がさっきまで生まれたばかりの瓜坊をつれたのがいたよと教えてくれた。
道の両側はソテツなどの亜熱帯植物が自生して大きく育っている
d0038294_241043.jpg

奇妙な木をみた。いくつも、いく本も。
幹のあらゆるところから気根が伸びて怪しい様子を見せている。
ガジュマルだ。
気根など要るのだろうか、雨も風も激しい土地なのに。

平日なので行き交う車もあまりない
実はこの道路は有料道路だが、高速道路並みに歩行者や自転車が通れない。
たまに自転車や徒歩での旅行者とゲート付近でもめることがあるという。
その苦労話が歩き旅・COMさんのHPにある

d0038294_21361255.jpg
終点の駐車場について、気根がたっぷりと下がった大振りなガジュマルの木陰に車を置いて岬の突端近くまで歩いてゆく。
d0038294_2311665.jpg
ソテツや棕櫚など南国独特の木や草が茂っている道を歩くと中ほどに神社があった。
開基は古くて平安時代の初めらしい。
薩摩藩の琉球航路の守り神として篤く祭られたが今はなぜか縁結びの神だ。
d0038294_239411.jpg

適当に足場の悪いところもあってちょっとした登山気分ですれ違う旅人に「山びと」のように「こんにちわ」と明るい挨拶を交わして、それでも30分ほど歩けばあざやかに展望が開く。
d0038294_2434735.jpg

写真は鹿児島県南大住町のホームページから

紺碧の海がきれい。
はるかかなたに開聞岳がかすんで見える。
そうだ、海を渡ってあの山の麓にある砂蒸し温泉に入ろう。


佐多岬ロードパーク 乗用車1000円 御崎入場協力金100円
なお、ここの緯度は回路やニューデリーと同じらしい。
by ai-bannri | 2006-09-20 02:04 | 旅行

情熱の島の夕べ

d0038294_22281496.jpg

与次郎が浜の鹿児島県庁のある辺りは昔、鴨池空港と呼ばれる飛行場があった。
プロペラ機が飛んでいたのだ。
戦争中は軍の訓練場でもあったし、特攻機もいくらかはここからとんだ。
昭和48年(1972)鹿児島空港は溝辺(今は霧島市内)に移り国際空港となった。
こんなに近くに櫻島があって風向きによっては灰が大量に降るのだもの。

江戸時代には塩田があったらしい。
天保年間に荒田村の百姓与次郎が拓いた。

7日に泊まった鹿児島東急ホテルはこの浜にあって窓は桜島に向いている。
手に取るほどに見える。
雲間から夕日がかすかに差して海に映しわずかある錦江湾のさざなみに色を添えている。
小さな桟橋があってその周りには幾艘もの小船が見える。

桜島の向こうにかすかに見えるのは大隈半島の山並みだ。
明日はあの島をわたりあの山の裾を走って佐多岬にいこう。

トラピックス・アラウンドの発行している格安航空券プラス宿泊券のセット25000円で鹿児島東急ホテルに泊まる
by ai-bannri | 2006-09-14 23:08 | 荒磯のうた

花嫁の父と義父

結婚式は若いカップルの最も晴れがましい日だと思う。
長女も勤務の間を縫ってエステに通ったし、前日には爪のマニュキュアもしてもらった。
去年よりは3キロも体重が減って「万里さんとこのお嬢さんはなんであんなに細いの?」と聞かれたりした。
もっとも私を知る人は中年になれば目方は増えると思うだろう。

若い二人の晴れの日なのは当たり前だが、長女の結婚式で感じたことがある。

近頃のウエディングマーチは「父」の為に鳴るんじゃなかろうか・・・。

MiaViaのチャペルは祭壇の高い天井は窓があって明るい陽がさしていた。
壇上に神父様がたちその下で新郎が待つ、そこに7歳の男女がマリッジリングを入れた篭を持って先導してくる、長女の手をとるのは父親だ・・・・当然だが。

最近は仲人を立てるのはめっきりと減った。d0038294_12305385.jpg
10組のうち2組もないらしい。
職場の上司にお願いする時代でもないし、結婚で思い出す恩師もいないらしい。
だからお色直しで引くときの介添えは式場のスタッフがするものだ。
ところが、司会の声で顔を上げると上機嫌の新郎の父君が「私の娘の」手を取ってドアに向かっているではないか。

いいけれどね、産んだのは私なんだから。
by ai-bannri | 2006-09-14 00:10 | 荒磯のうた