神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
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正確には昨日だが三女のうちの女児の誕生日で、集まって祝いをした
娘は一月も前から姉たちと会えば誕生日のプレゼントの話やケーキ、料理のメニューなど、我を忘れるほどに話題にしていた。
昨日は親子三人で祝った。
離乳食もかなり進んだ子はロールキャベツを喜んで食べたといい。ケーキの残りはあるのに今日のシホンケーキはバナナにした、と冷蔵庫をあけて見せた。
子供はアレルギーがきついので乳製品は駄目だからデコレーションがいまひとつだ。
長女も次女も集まって大きな鍋で鯛とカワハギつみれの鍋を振舞ってくれた。

『1年前に友に送ったメール』
三女のお産は私が見ると分娩室に入るまではとても安心して見られました。
ところが
陣痛が少し弱くて胎児が産道に入ってから何回も途絶えて
そのたびに胎児の心臓のモニターの画面が無色になって私の心臓が早鐘を打ち鳴らしました。
生まれるときに酸素が脳に届かなくて障害者になった人はたくさんいるのです。
不安を妊婦に伝えるわけには行かないし、プロ達に指図するのは憚れるし、あわてました。

心臓の動きは止まっているんですか?と小声で伝えると、
酸素マスクを出して三女の口にかけましたよ。
そして、医師が呼ばれてちょっとした手術を施して、間もなく生まれました。
あくまでも普通分娩にこだわる評判の良い病院で、信頼は置いておりますが、
とりあげるのは個人なので、どんなところでも不安はあります。
モニターに、また数字が出るまでの10秒ほどは息が止まるほど長く感じました。
普通ならばピンク色で生まれるのにチアノーゼが出かけていました。
程なく産声を上げたので私の心配は杞憂に終わりました


産み上げた三女は胞衣を拭ったままの新生児を心臓の上に置いて泣きじゃくっていた。
ふと、横を見ると婿殿も涙を拭っていた

あのときのことを覚えている?と聞けば
「そりゃもう・・・・絶対に忘れられへんわ」

今日の病院食
 野菜のクリーム煮
 魚(たら9のボイル、温野菜添え
 メロン
 ご飯
見舞いに行った長女と軽い世間話が出る。
母の顔を見るとほおの色がピンクできれい。
点滴の作用で水分が足りて皺が伸びているようだ
by ai-bannri | 2005-12-24 02:52 | 日記・あれこれ
例の「筋肉痛」はよりひどくなって何事をするにも緩慢になってあさうとうとしていたら、長女から電話で、
「おばぁちゃんのお見舞いを予定していたけれどこんなひどい雪ではお母さんに迎えも頼めないわ」
ふうん、川西は雪なの?
「え?もしかして外に出ていない?そっちも雪だよ」
d0038294_29890.jpg外に出るとあっと驚く銀世界だ。
車は分厚い布団をかけたようにこんもりとしている
昼過ぎごろには解けるだろうと高を括っていたら解ける様子など無い。
それでも道は行き交う車の轍から解けていき車を出しても不安はなさそう。

車の周りの解けない雪をはらって病院へ行く
実家に寄らないものだから義姉が準備した私へのことづけを兄が病室に置いてあった。
りんごや菓子、お茶などの到来物のおすそ分けが入っている

母が夕食を摂るのを見終えてから家路を急ぐ

三女の家では1歳になった女児の誕生日祝いをしていることだろう
by ai-bannri | 2005-12-23 02:09 | 日記・あれこれ

10月21日-あと2年は・・・

母の容態は劇的に良くなった。
19日は座薬を入れても下がらなかった熱が平熱になっている。
普段はあまり茶も飲まないのでトイレなどもめったに行かないが点滴の作用かよく尿意があるという。
今でも家族の夕食の献立と下ごしらえはしているので留守中の嫁の家事を不安がっている。
ボケ防止も兼ねて台所を任せられて入るのを自覚していない。
「昨日の昼には大根とイカの煮たのが出たが固かった、あれは時間をタップリとかけてことこと煮れば柔らかくなるのに」などと病院食の批判などしている。
「もう知っている人もあらかた亡くなった。
私は孤独が好きだから構わないけれど。」
(孫やひ孫に囲まれ構われてよく言うよ)
民生委員をしていたあの人も先日92歳で亡くなった。
「私も後2年ぐらいは生きられるかなぁ
こんなに気管が弱かったら頼りないけれど」

太鼓判を押しても良いわ
明日のひ孫の誕生日のお祝いは立て替えとくから返してね!

d0038294_151783.jpg写真は病院の夕食、
かに玉、厚揚げと大根の炊き合わせ、白玉団子の小倉餡
by ai-bannri | 2005-12-23 01:53 | 日記・あれこれ

きっこの日記

無断転載転用を禁じますとあるのでここで何が書いてあると書くわけにはいかないが、最近愛読しているブログに「きっこのぶろぐ」がある。
彼女のプロフィールを見ると年齢はともかく男や女の好みや好きな料理などは自分と似ている。
持っているスキルは激しく乖離があるけれど、近くにいれば「おともだちになりたい」
目や耳を何十も持っているのだろう、情報の発信はテレビや新聞よりも早い。
多分、社会的なもので失うものは無いと思っているのだろう、上や横を気にして書きたいことの一分も出せない男の文より面白い

今話題のはりぼてマンションホテルの記事は核心を突いている
気になる方は「きっこのブログ」をどうぞ
by ai-bannri | 2005-12-23 01:24 | 日記・あれこれ
母の入院は2年ぶりだ。
胃潰瘍を患って下血したので同じ市民病院に入院した。
胃潰瘍などは自分もちょこちょこしているのであまり心配はない。
3週間の予定だったけれど2週間もしたら
「退屈で、退屈で、病気になりそうだ。ひ孫にお年玉もやらないとならないので退院する」
と強く申し出て、正月の人手不足も手伝って12月31日に帰った。

2時ごろ病室を訪ねたら、「もう3日もたったかな」と言う。
まだ2日目だよ。
点滴治療と、酸素の吸入が終わらないと帰れないよ。
だいたいどんな人でも一週間ぐらいは入院するよと慰めてみる、
夕食の介助
 鮭のボイルタルタルソース、ボイルキャベツ添え
 ポークビーンズ
 青菜の煮浸し
 ご飯150グラム

ポークビーンズは嫌いだと言って食べなかった
味付けが不満らしい。

隣のベッドの患者さんがやや認知症で点滴のチューブを引っこ抜いて血液が逆流して大騒ぎになった
再度血管確保が難しくて看護師さんが困っておられた
「点滴をしますからね。抜かないでくださいよ」
「点滴?そうですか。そんなことしたことないですわ」
「・・・・いつもしていますよ」

気配に気づいて耳の遠い母が
「隣は年寄りらしいな」

よく言うよ
by ai-bannri | 2005-12-21 00:23 | 日記・あれこれ

12月19日ー車が足りない

前日の転んだはての筋肉痛に加えて夕べの忘年会もたたって体のあちこちが痛い。
朝の用事が済んで9時ごろ2度寝をしようとベッドに入ったら兄から電話。
おふくろさんがだいぶ弱っている。
病院に連れて行ってもらっているが【俺は忙しい】
10時ごろ家に電話して様子を聞いてくれ・・・・

こんなときに限って車を息子が使っている
原付がきのうおしゃかになったのだ。
すぐ帰るように電話
10時、11時と義姉に電話を入れても出ない
外来の診察は時間がかかるからなぁ・・・・
帰ってきた息子もろとも母が行くであろう病院にいってみる
かかりつけのクリニックで「市民病院を紹介しましたよ」
市民病院へ
受付で探してもらう
この病院は患者が今どこにいるか即座に分かる・・・・
天井を見るとレールがくまなく敷かれてカルテなどを入れた箱がせっせと音を立てて移動している。

12時15分に母と義姉を発見。
レントゲンと心電図の検査に向かうところだった。
申し送りを受けてバトンタッチ。
肺炎の恐れもあるというので、母は入院する

忙しかったけれど、ベッドサイドではすることもない一日だった。
by ai-bannri | 2005-12-21 00:05 | 日記・あれこれ

12月18日-昔取った・・・

d0038294_2345249.jpg
もしかしたらこれが最後になるかもしれないという、山を守る会の持ちつきは、30キロも準備したので朝の10時から午後の4時までひっきりなしに搗いていた。
白い餅のほかに、青海苔を入れたもの、桜海老を搗きこんだもの、芋餅などを作った。
オーナーの家には、喪中だから紅餅を届けるのを遠慮しようかという声もあったが、年明けには赤ちゃんも生まれるので少しは届けようと形の良いのを選んだ。
寒いので子供たちは早く帰らそうと陽だまりで遊んでいる次女たちのところへおみやげのお持ちを持っていこうとしたら芝生にかくれた散水栓に足を取られて転んでしまった。
万里さんまでしりもちつかなくて良いのに!と笑われたが・・・恥かしいなぁ
ところが、これが2日建っても痛い
骨には異常はない・・・ようだ

息子曰く
「運動不足が激しく転んだら筋肉痛になるよ」


写真はまるで餅屋のバイトの気分のひととき
by ai-bannri | 2005-12-20 23:51 | 日記・あれこれ
広島での被爆体験から医師を志した岩村先生は日本キリスト教医療協会の派遣でネパールに渡り、夫人の史子さんとともに結核の予防治療などに奔走された。d0038294_0532513.jpg
18年ほど滞在したが、原爆症が悪化して昭和55年に帰国し人づくりに力を尽くされた。
生命保険会社の勤務医をされていた頃何度かお世話になってお話を伺ったこともある。
穏やかで人格優れた方と思った。
短い時間の同行の途中、青年協力隊の事業の話をされ、
「ここで稼いだお金も資金にしているのです」と笑っておられた。

わたしたちは面接医師と、顧客の家か最寄り駅で会えばよいのだが、タクシーなどを暗に強要する医師もいた中で、先生は
「これぐらいは歩かないと」とかなりの距離でもすすんで歩かれた。
タクシーなどは外務員の自腹なのをよくご存知だった。
仕事は適格で昨今取りざたされているような不法な契約は許さない態度もあった。

フィリッピンの【マグサイサイ賞】を受けられたが。私達が細々と差し出す千円ほどの寄付金にとても感謝されておられた。
”生きることは分かち合うこと、貧しきものたちと” ”日本人は金持ちではなく心持になろう”といつも言っておられた

11月27日に亡くなられた。今日の新聞に「葬送」の記事が載った
享年78
先生の座右の銘
サンガイ・ジウネ・コラヤギ(みんなで生きるために)


d0038294_0183653.jpg明日の餅つきのためにお米を洗いに行く
3キロづつ10臼分
雑煮の具の買出し。

秋の日をさまざまな照り葉で飾った徳秀苑は、落ちる葉はみな落ちてやがて来る厳しい寒さに備えているが、程よく刈られたさざんかの緑の茂みの中から赤い花が顔を出して、冬こそ楽しいと囁いている
明日のもちつきに来る子供たちは何を見つけて遊ぶんだろうか





by ai-bannri | 2005-12-17 21:25 | 日記・あれこれ

12月16日-新聞の勧誘

今日はダスキンが換気扇のフィルターを交換に来る日だし、テレビは時々ひどいノイズが入るのでメンテの人も来るというので「ごめんください」の声に油断した。
いそいそと出てみたら、新聞の勧誘員だった。
その新聞は5年以上取っていた。
二つ取っていたので契約期間が済んだので止めたのだ。
基本は産経新聞で、二つ目を毎日新聞、日経新聞、読売新聞と変えていった。
最近はニュースはネットで見られるし、二つも取ったら古新聞の始末も面倒だし、
ものの考え方が偏ったらいけないと2紙取っていたがもう家にいる子は一人だ。それに
何よりも。

お金がない。

止めた次の日には配達に来る人が勧誘に来た。
次の週には店主が来た。
先週はみたこともないおばちゃんが来た。
今日も知らない人が来た

あんまりしつこいと
金持ちになっても取ってやらないよ。
by ai-bannri | 2005-12-17 01:42 | 日記・あれこれ

12月15日ーパワフルな娘

あまり自慢にならないことを蒸し返されたら、身に覚えがあるほど不愉快だろうと思うけれど、
次女は学校も勉強も嫌いで、通学の途中で引き返せば母親は出勤して留守になるものだから授業をサボタージュして家にこもっていた。
当然ながら電話などには出ない。
このままでは進級できないといわれたときは仰天した。
しからばと、首に縄をつけて校門の中まで連れて行ってみたが、
今度は、親に連行されるようじゃだめだといわれた。
長い夏休みに時間つぶしも兼ねて運転免許をナイショで取らせたら
「誰にも言わないでね」と前置きしてクラス全員に告っていた。
ツテを頼んで小規模な商社に就職させたら頼んだ人の顔が良くて「姫」と呼ばれて可愛がってもらった。
何もスキルがないから迷惑をかけたと思う。

先月からバイトに行っているスポーツジムで応急処置の講習があるから留守番をしてと頼まれて半日ほど次女の家に出向いた。
洗濯も済ませて、晩御飯の準備も完璧にしてある。
子供たちは勝手に遊んでいる
何もすることはない。
ビールを買ってきてと頼まれて持っていくと、きっちりと料金も払う。
お仕着せのすき焼きを炊いて食べていると、
「合格したぁ」と帰ってきた
それぐらいに高校のときに勉強したら大学にもいけたのに・・・

7つも年上の婿を呼び捨てにして自分は「ちゃん」をつけてもらっている。
by ai-bannri | 2005-12-16 17:27 | 日記・あれこれ