神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri

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d0038294_23324829.jpgゆきという名前なので「きいちゃん」と幼い頃から呼ばれていてそれがニックネームにもなっている、さらさんは宝塚の月組の7年生でもう中堅クラスなのだろうか
4人姉妹の末っ子で早くから宝塚を目指して一念は叶った
4月にお母さんをなくされたが、ちょうど東京公演のさ中で死目にも通夜にも葬式にも出られなかった。
斎場に供えられた花の中におびただしい数の宝塚の人たちの名前があった
きいちゃんの代わりになれないだろうけれど、都合のつく先輩後輩が参列していたのをおもいだす。
愛されているんだ。

来月は東京公演です。チケットはまだありますよと世話役の方が遠慮がちに言っていた
ゆきさんは家でお会いするときはごく普通のお嬢さんだけれど、綺麗に化粧して少し華やかな衣装をまとえば舞台に立つおひめさまだ。
もっとも美形はお母様ゆずりではある
by ai-bannri | 2005-10-31 23:35 | 日記・あれこれ

10月29日ー郷土会

朝から雨模様で着物を着て出ようかと思ったけれど、泥でもはねたら後始末も億劫なので服にする。
郷土会は道頓堀のホテルで、ここの支配人らしき人も同郷らしい
150人ぐらい参加者が見えたが郷里からの来賓やらも10名ほどは見えた。
郷土史を編纂した先生は私の中学のときの社会化の先生でご子息は高校の同級生だ。
先生のお顔を拝見して自己紹介をしていたら、声をかけられた
同級生とそのお兄さんが高齢の先生の付き添いで来られたらしい
先生の講演は興味の尽きないものだった
神話などに関わるところは知っていたが江戸期から明治、戦後にいたるまでの歴史は耳新しく、なるほどと納得できるものも多かった。

鑑真和上が苦難の末に日本に上陸したのは薩摩半島の坊津である。
古くは日本三津に数えられ、中国大陸とは交易も頻繁に行われていた
内陸から坊津へと貫くので街道沿いには「津貫」という地名もある
そこはポピュラーな焼酎「薩摩白波」などを生産する本坊酒造の発祥の地だ。
加世田郷は交易の潤いで明治の初めには人口は稠密で5万人ほどを数えていた
島津藩や後の県の施策で大隈の鹿屋や、今は宮崎県となっている都城に人々は移住していった。
以前から都城は宮崎県なのにまったくの鹿児島弁なのと、姻戚関係があるのを不思議に思っていたが謎が解けた気分だ

島津日新公(じっしんこう)の話もドラマチックで面白かった
これを話せば1~3時間はかかる・・・というのがいくつもあったがうまくはしょって1時間ほどは瞬くうちに聞かせてくれた。
あんなに授業は面白かったかしら?・・・むかしも。

小学校ごとにテーブルを作ってあって同席の人は知っている(はずの)人ばかり。
「あんたの兄さんは偉い」
 (ああ、どうせ私は落ちこぼれよ)
○○さんのお母さんには可愛がっていただいたわ。懐かしいわぁ・・・
忘れていた名前がすっと出るのは生まれ、育ったときの刷り込みかしら。

解散の後も始めてあった人と話し込んで次の予定に遅れそうになった
このあと
宝塚月組の「葉月さら」さんとのティーパーティに行く
by ai-bannri | 2005-10-31 23:17 | 日記・あれこれ
古事記や日本書紀に登場する神様は日向や奈良だと思っている人がほとんどだろうが、薩摩半島の南一帯は神話の里だ。d0038294_1101942.jpg

野間崎に上陸したニニギノミコトは「笠沙の宮」を舞敷野に築き阿多に住む土地の長老の娘コノハナサクヤヒメを娶れば一夜の契りで姫は懐妊し三柱の皇子を産んだ
山彦、海彦、ホスセリである
ニニギノミコトは疑い深かったらしい、一夜で懐妊したので国津神の子ではないかと疑った。
姫は疑いを晴らすために産屋に火を放ち燃え盛る炎の中でお産をしたという・・・ひどい話だ。
しかも父親のオオヤマツミは姉娘のイワナガヒメも同時に差し出したが醜かったので断ったらしい。

お産をしたところやコノハナサクヤヒメの故郷、笠沙の宮跡などはいずれも11月7日には市町村合併でひとつになる地域にある
平安時代の後期ごろ川辺氏が守護となりこの地に城を築き=別府城=治めたが、後に島津忠良に破れこの地は忠良の隠居地となる。
別府城は戦争中におびただしい防空壕が作られて危険なのだろう戦後10年ほどまではあった小学校は平地に移転して長い石段が昔を語っている。
武家屋敷があった辺りは知覧の屋敷群ほどではないが綺麗に手入れされた家が何軒か残されている。
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通りにはイヌマキの木が形よく剪定されて植えられている。(写真は<重箱の隅でごろごろごまめかな>さんより拝借)

ただ、過疎化の勢い止むことなく合併して広くなっても人口は5万人にも満たないらしい。
西の海沿いの万世(ばんせい)は戦時中に特攻隊の基地が作られて200人ほどの若人が南の空に散っていったらしい。
そこは小泉首相の父君の生まれ故郷である

親戚の家に行き母卒寿の内祝いを届ける。
氏神様を参拝してお賽銭を上げ当番の家の主とよもやまの話をする
ゲートボールの試合の朝、仲間が運転を誤って車に挟まれ内臓破裂でなくなった人がいた。
幼い頃遊びに行った家のお姉さんだった
斎場に立ち寄り記帳をする
by ai-bannri | 2005-10-28 01:00 | 旅行
9時45分のフライトだけれど母の足取りは時速500メートルぐらいなので、空港内のあの長い距離を思うと出来るだけ早めに行かねばなるまいと1時間前には手続きを済ませた。
d0038294_1602751.jpgシルバーカーは機内に持ち込もうとしたら、持込は出来ないが入り口まで使用して到着時にも出口で待機してくれるという。
見かけも充分に年寄りなので空港の職員の方々はとても親切だ。
気を使わせて悪いなぁ・・・などと思ったら超高齢者の旅行なぞ出来やしない
あつかましくお世話になることにする。

機長のアナウンスがユニークだった。
(気流の関係で)天使がゆりかごやシーソーを動かすように揺れることがありますが安全にはまっ~~~たく支障はありませんので・・・
君はしゃべりを楽しんでいるな?

鹿児島では用を済ませた後、時間があるので霧島山に登る
神宮は階段もきついし10年ほど前に参ったので鳥居のあたりから遥拝し、あたりをドライブする
少し登ると「霧島樹海トンネル」という看板が見えた
d0038294_350306.jpg「樹海」とはまぁ・・・何ぞの縁もあるやも知れぬとくぐるように入っていくと原生林の中に2車線の道がのびている。木漏れ日はあるものの昼なお暗い神秘な道だ
この道は高千穂川原からえびの高原、生駒高原を経て宮崎県の小林に通じているが、母の体調を見て高千穂川原で引き返し宿泊先の東急ホテルに向かう

交渉している家は建て増しした部分は手を入れなくとも良いけれど古いほうは床、壁、手洗いなどはこのままでは使えない。
来月もう一度兄とともに見に来ると返事
by ai-bannri | 2005-10-27 03:50 | 旅行
死ぬまでにもう一度生まれた家を見たいという
 5月に行って何もなくなったのを見たでしょう
何もなくとも跡はあるだろうが
 跡も・・・

誕生日までに帰郷したいと繰り返し言うので連れて行くことにする
d0038294_19221556.jpg母は呆けてはいないが認めたくないことは忘れるらしい
母や自分達が生まれた家は伯父の家の離れなのだが、母屋の跡を継いだ従兄弟は都会に出たまま帰るつもりはない
母屋ともども、家は朽ち果て勢いの強い孟宗竹がはびこっていて足を入れる道さえもない
かえりみるつもりがないのなら譲ってくれ、少し手を入れてみかんなぞ植えてたまさかに帰ったときの慰めにしたいと申し出ようとしたら従兄弟の姉が争いごとになるから止めておけという

高齢の母の面倒を見るのは大変だと聞くのでいよいよ身の回りも怪しいかと思えば、
次女は「昨日はおばあちゃんお手製の巻き寿司をご馳走になった」と知らせてくれる

自分で服を着て脱いで、飯を作り食べ、用も足すなら世話をするのは何ほどのこともないと思うけれどことの大小を感じるのはその人の個性だから何事も言えず

9時40分のフライトで昼前には鹿児島空港に着く
今日もあれた家の跡を見てきっとがっかりするに違いない
母はもうすぐ90歳
by ai-bannri | 2005-10-24 04:15 | 荒磯のうた

10月23日ー日曜日

d0038294_34040.jpgたかじんの「そこまで言って委員会」を見る
靖国の問題は思いは人それぞれでこれが正しいと決められるものではないが、宗教的な問題に他国が介入して政治家が右往左往するのはどうだろうか
日本人女性がアラブの男と結婚してその国に帰ったら第4夫人であった、日本人を馬鹿にしたと国が批判するようなものかな。
平和条約を交わしたらアムネステイ条約も同時に発動されて戦争への個人的な追求は国家としてはなされないのが常識というのは初めて聞いた
マスコミはもっと啓蒙すればいい
山口もえちゃんは、一見番組の流れをぶった切るような意見を言うが、案外本質は突いているかもしれない。
首相はこっそりといけばいいのに「いくぞいくぞ」と露払いをしてから行く
その反応を楽しんでいるのかもしれない。

夕食、鶏とつみれの鍋、蛸ときゅうりの酢の物、即席漬物
明日は実家の母と旅行に行くので出勤の足のための車は使えないことを言う。
「どこに行くのか」と聞かないし、言わないのもまたよし
by ai-bannri | 2005-10-24 02:02 | 日記・あれこれ
土曜日の深夜に島田紳介司会のクイズ番組がある
たまたま見た
日常の出来事でハプニングが起こったときにとっさにどんな行動を取るかを芸人に
答えさせて、客席の投票で1位を決めるものだ
他愛もないお笑い番組である。
「自家用車にガールフレンドを乗せた後日、妻に髪ひと筋を発見されたときどういい逃れるか」
その答えに若手の芸人が(誰か思い出せない)「妊婦を乗せてやった」と答えて紳介に、それはありえないと一蹴されて客席の投票も低かった。

ありえることだ。

次女のお産では見知らぬ人に名古屋の道路端で車を停めてもらって医院まで送ってもらった
長女のときに長い日にちがかかったのを聞いた医師は陣痛促進剤を出しましょうと薬剤をくれた
朝飲んで、日中はどうもなかったが夜中に痛み出した。
夫は出張で明日あたりは帰るだろうか
長女を母に託して一人往来に出た。
タクシーを拾うために。
30分おきの痛みでは早くても明日だろうと思っていた。
かばんを下に置きそれに腰掛けてタクシーらしい影を見ると立ち上がって手を振るものの瀬戸市へ続く国道は空車はなかなか通らない。
携帯電話など発明もされない頃の話で公衆電話もあたりにはない。
そこは名古屋の郊外だった。
薬を飲んだせいか痛みの感覚は短くなって、たってはおられずうずくまり、
心細さに涙が出そうになった。
30代ぐらいの男性が車を停めて5キロほど先にある医院に送ってくれた
名前を尋ねたが答えてはくれずそのまま走り去った
4時間ほどの後、次女を産んだ

お礼も何もしていない

クイズの1位はスタンドで洗車を頼んだら髪の長い女性がしてくれた。・・だった
by ai-bannri | 2005-10-24 01:49 | 日記・あれこれ

10月20日ーお茶のお稽古

10月のお茶は風炉だが炉の左手に水差しを置く「中置=なかおき」でこの月だけのやり方だ。
神無月はそろそろ肌寒く風炉を畳の中ほどにおいて客人に近づけて、心ばかりの暖を取ってもらおうとの気遣いである

今日のお菓子は桔梗をあらわしたもの
花は、浜菊、しゅうめい菊、ほととぎす、のじぎく やばす
講師の先生が替わったので、先生持込の道具も変った
茶入れは成りが「茄子」で丹波焼きのしっとりとしたものだ
掌をまるめるとすっぽりとおさまるほどの大きさで肌の景色が良い
仕覆(しふく)は道元緞子
次回はデジカメを忘れないようにしよう、携帯で写すと色が変だ

今年の「お茶事」の予定を聞く。11月6日(日曜日)
by ai-bannri | 2005-10-20 04:12 | 日記・あれこれ

10月18日ー代理出席

月末に郷土会があるんだが、都合で行けなくなった。
もう会費は払ってあるから代わりに行ってくれ、といわれて、
私もその資格はあるから代理にしなくとも良いんだけれどと思いながら
・・しめしめ・・とありがたく受けることにする
どうやら顧問になっているらしい
男は年を取るといろんな役柄がくっついてくるなぁ
藪の中を歩いて後で気づくズボンのようだ。
さまざまな種子がくっついている

詳細を伝えるメールが届いた
鹿児島から郷土史研究家の先生と市長を迎えてとある
どれどれ
あら、この先生は私の中学のときの先生だ
たった半年しか習っていないけれど妙に印象に残ることがある  d0038294_16146100.jpg

「妻のために洗濯機を買ったら、母親が文句をいう。贅沢だと。
 こんな風にして女が女の邪魔をしている」
中学生だったから深い意味は読めなかった
わぁ、お金あるんだなぁ・・・いいなぁ・・・とびっくりした
洗濯機が三種の神器と持て囃されていた頃の話だ
授業中の雑談だった・・・雑談ではなかったかもしれない
社会科の先生だもの。

写真はパナソニック探検キッズのページから昔の洗濯機のイメージ図
by ai-bannri | 2005-10-19 12:18 | 日記・あれこれ

信濃路をおもう

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夢色に染まりしころか     
去年の秋の写真を飾り
メールうつなり






大正池を隔てて焼岳
by ai-bannri | 2005-10-19 11:36 | 荒磯のうた