神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
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一人で西国街道をゆく②

メモを取りながら歩かなかったので、早く書かないと忘れそう。このごろはいろんなことをいつまでも覚えていない(^_^;)・・・・それはそれでいいこともあるが。
夕べはNYの原油の値崩れで、チャートを見ていたたくさんの人がまるでチャットルームのように賑わっていました。
あ、チャットはしたことはありません(^。^)・・・聞いた話です。
それでとうとう徹夜。生ゴミを出す日なので更に9時までおきていて倒れるように就寝。
こんな生活・・・・お肌にとっては最悪だ。

西国街道の続き
 西国街道の起源は都と大宰府を結ぶ山陽道でそのうち西宮辺りまでが脇街道として今の
大阪・守口を通る本街道より賑わって参勤交代の西国の大名行列も通った。
西国街道http://www.y-morimoto.com/saiiseki/saiiseki00.html

継体天皇の御陵を過ぎてさらに行くと、阿武山に抜ける道を横断する。d0038294_1554301.jpg
阿武山は岩盤が固いのだろうか山頂近いところに京都大学の地震観測所がある
阿武山は近年の調査で藤原鎌足の墓であるらしいといわれるようになった。
阿武山古墳http://www.y-morimoto.com/kofun/abuyama.html
ところで、鎌足の墓といえば西の茨木市に「将軍塚」という小さな小山があってそこが鎌足の墓と伝えられてきた。
阿武山の調査でお株は奪われたようだが、地名は変わらず将軍山

その道を横断したら西国街道がどこか分からなくなった。
見当をつけてうろうろして、やっぱり人に尋ねることにする。
三島高校の北側らしい。かなり南へずれてしまった。
この辺りは奈良時代にこの地方の「郡家」が置かれていた。後は史跡となっている。
近いので今城塚古墳を見ることにする

d0038294_15561537.jpg周りを二重に堀が囲ってあって淀川の右岸では最大級の墳墓らしい。
内堀の辺りで釣りをしている人が7~8人見える。
ふと横を見ると「公園としての整備をするので平成17年3月31日を以って魚釣りは禁止します。釣り台は撤去するので10月・・日までに・・・に取りに来て」・・・なんて書いた札がある。
おいおい、いいのか~楽しそうだけれど。
桜の木がたくさん植えられている来年は花見に来よう。
今城塚古墳はhttp://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi/kohun_imashiroduka.html

まだどれほども歩いていないのに1時間近くたってしまった。
こんな寄り道ばかりではたして水無瀬まで行けるのだろうか。
by ai-bannri | 2005-04-30 16:06

一人で西国街道をゆく

ゴールデンウィークは何の予定も無いので日ごろの運動不足の解消も兼ねて、京都まで西国街道を歩いてみることにしました。
計画倒れになることも考えられるので、まずは「歩いて京都までいくよ~」と宣言。
29日の祝日、3・4・5の祝日の4日を使って二条城辺りまで行きます。
そうなんです。いっぺんに京都まで行くわけではないのです
一日に10キロぐらいずつ歩いて帰りは電車で引き返し、次の日にそこまで電車で行ってまた歩きます。
予定は1日目 高槻を経て水無瀬辺りまで
    2日目 山崎を通って向日辺りかな、光明寺は寄れるでしょうか
    3日目 桂からもう少し都の中に
    4日目 到着 京都でエステ

携帯電話とデジカメ、最近流行のスーパー銭湯があったら入ろうとお風呂のグッズ一式を持ってさあ出発

1日目:4月29日(金)
     午前中に出発と思ったものの天気が良すぎて夕方にかけて歩こうと、3時15分にスタートする。
名神沿いにある西国街道の安威川を渡った辺りから入っていく。
案外に狭い。大名行列も行き来したのにこれでは槍持ちや荷物担ぎは窮屈だったんではないだろうか。
安威川の左岸には東芝の大きな工場がある。地名も東芝町・・・・分かりやすい・・・

街道沿いの家は旧家を思わせるような構えで屋根のついた塀でぐるりと屋敷を囲ってある。
よく手入れされた庭木が塀の上から往来に向けて美しい姿を見せている。
はなみずきの花がきれい。

住宅地を縫うように歩いていくと継体天皇の御陵が見えてきた。 http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/026/index.html
1550年ぐらい昔の第26代天皇で25代天皇に世継がおられなかったので北陸にあらされた
大迹尊(おおどのみこと)を迎えた、とある。
大和に都を造る前に「樟葉」で即位されたとあるので、淀川の対岸のこの辺りに御陵があるのだろうか。
宮内庁の管理下にあるので入り口は閉じられて中にはいれない。
前方後円型の墳墓で堀で囲われうっそうと木々が茂っている。
だが、最近の研究では継体天皇の陵はこのあと通る
高槻市の「今城塚古墳」ではないかといわれている。
本居宣長の頃からあっちよりこっちのほうが立派だったんだろう。
by ai-bannri | 2005-04-30 09:03