神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
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カテゴリ:日記・あれこれ( 331 )

心配事

鹿児島の家にはテレビは無いが低い音で鳴らしているラジオはニュースも拾い上げて知らせてくれる。
インターネットの速報を見れば、たった今あった重大ニュースも隣の家の出来事のようにとどく。
人気のある歌手と現職の大臣が死んだ。
松岡さんは毀誉褒貶それぞれだがメディアは悪口ばかりを言い募るので聞き続けると眉はつばでいつも濡れている。
農政には英知を発揮して悪い印象をぬぐってほしかった。
  
合掌


年金制度が施行されたとき、母の住民票は自分のところにあった。教えてくれる人があって手続きをして掛け金を払った。
月額にして100円だった。

親戚の年寄りは1円も払わずに年金を受給して
「お上のおかげで焼酎代が助かる」と喜んでいた。
1000円だといっていたが、支給は2ヶ月に一度だから月額500円だったんだろうか。
大学卒の給料が15000円ぐらいのころだ。

母は仕事をやめて兄の扶養家族になり家事一切を任されてはいたが兄夫婦の家計も潤沢ではなかったのだろうか、いつも「小遣いに不自由している」とぼやいていた。
食材をケチってへそくりをすればよかろうと今では思うが、母の性分では100円で買ったものを150円したと言えない。

姉と暮らしている私たちのところに日曜日の毎に泣きに来るので、たまにはバスツアーに連れ出していた。
一人でも参加できる百貨店の友の会などを教えてやって1年ほどは会費を払ってあげた。
やがて姉も私も結婚して母の愚痴どころではなくなったし、義姉も「義母に小遣いをわたす」事に気がついて、母の旅行は日本全国を網羅するようになった。
65歳で年金の受給が始まったときにはとても喜んでいた。
「万里のおかげだ」といわれたときは何のことかと思ったが手続きをとって月100円の掛け金を払ったことだった。

そのころから母から孫たちに祝い金が来るようになった。
内孫も外孫も差別なくきっちりと忘れずに。

年老いてからは日にちのかかる旅行や海外はいつも付き添っていたが全部母の積み立てた年金がその資源だった。

今、国民の年金は数多くの問題を抱えているがマスコミや野党の政治化がこぶしを振り上げているのは違和感がある。
事務管理のしかたを民間の銀行とと比べているが、社会保険庁の仕事ぶりも国会で論じてみろ。


母が兄の家で家事が出来なくなって、「面倒をみてもらう」状態になっていらい私の憂鬱は富士山よりも高くフィリッピン海峡よりも深くなった。

兄の言動もつじつまが合わなくなった。
母が元気なころは彼女の老後の話に及ぶと、金はいくらでも出すというかと思えば、いまはディサービスの料金にさえ敏感になっている。

大都会で母の終の棲家を準備するには大金が要るが、故郷のここならばわずかの資金で済む。
それでもベッドを買ったり車椅子を手に入れたりさまざまなことがあって、母は私の困窮をみやって大阪に帰ったときにお礼もかねてと少し余分にくれた。
年金を蓄えているといっても高が知れている。
誰からも援助がなければ母と自分のわずかばかりの個人年金が頼りなのだ。

痛めたからだがよくなるまではと一人で帰った私のパソコンに後を追うようにして兄からのメールがあった。
母の預金通帳の記載金額と財布の中身が合わない。
「介護は名目で目的は母の金だったか」とわずか3行。
あいさつ文も、身体の気遣いも何も無いメールだった。

余分に貰ったのは10万円ほどだ。

甥に言わせればお互いのコミュニケーション不足が因だというが。それは無理な相談だ。
あの二人は自分の思いを言うだけで人の言葉を聞く耳は無いのだから。

こんなことを思われていた抱けでも腹が立つが、母の言い分も不愉快だ。
貸せといわれたから貸した→→万里はお金が無いのでかわいそうだからあげた。

『全部おろしてあんたの好きにして・・・・』なあんて言っていたくせに。

腹が立ったついでに昔のことも思い出した。

嫁姑で義姉が兄に不平を言うと兄がすぐ反応して母を責める。
すると母は「それでも、万里がそういうた」
で、兄はいつ会っても私を猜疑の目で見る。

勘弁してくれ。日本各地放浪の猛烈社員の妻で4人の子供を抱えて耳の遠い母親に電話などかける暇があるかいな。

へんてこなメールを貰ったショックが大きくて一月ほどをポカ~ンと過ごしていた。
ほんとうは20日ごろに息子に母を連れて来てもらおうと思っていたが、甥に言わせると「あんたの息子一人では信用ならん」らしい。
それもまあもっともではあるので、また大阪に帰ることにした。
明日、息子が迎えに来てくれる。
3日ほどこのあたりを観光してもらって、ハンドルを時々盛ってもらって陸路を取って大阪に。

母の介護は困ったことではあるが、もうひとつ心配事がが増えた。

およそ、ひとを不快にさせるメールなりはがきなりだすときは推敲しないかなぁ???
タイピングミスで「KAIGO」を「KIGO」とうって「季語」に変換されているのに気がつかないなんて、そんなことをするような人ではない・・・・兄の精神状態は大丈夫なんだろうか。

電話先で私の様子を察した息子が「伯父さんの心配は伯父さんの家族がするんやで、余計な心配なんかしんどけよ」
by ai-bannri | 2007-05-29 00:12 | 日記・あれこれ

カーネーション

今、チャイムがなって花が届いた
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次女からだけれど子達がみんなで送ってくれたのだ。
ありがとう
たくさんあるつぼみが咲ききるころには元の体になる。

母が居たときは花などを取り去ってすっきりさせていた玄関にまた台を置いて飾ってみる。
by ai-bannri | 2007-05-14 18:37 | 日記・あれこれ

神々のめぐみ

4月にしては冷え込みがきつい、夕べなど母はもう一枚上着をくれという。
朝、目覚めると昨日の悪天候とは打って変わって陽射しがきらきらとしている。
朝の用を済ませ朝食と10時のおやつを済ませてから再診とリハビリのために病院に車を走らせるその目の前に白く輝く霧島連山を見た。真冬にもこれほどの頂を見ただろうか。
思わず車を止めて携帯のカメラを向ける

アクシデントで気持ちが塞ぎこみ鬱々とした日々に神様がくれた癒しの光景だ。
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by ai-bannri | 2007-04-19 13:39 | 日記・あれこれ

徳秀苑の桜」

去年まで月に2回ほど手入れのボランティアをしていた徳秀苑は所有者の都合などがあって1年前に作業は中止になった。
北摂の旧家が30年ほど前に造った庭園は、山ひとつの起伏を利用して見事なものだ。
およそ1000メートルほどのメーン道路は2車線ほどはたっぷりとした幅で荷物などあるときは来るまで山頂まで行ける。
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入り口からやや行ったところにはテニスコートも2面作られている。
男女別に造られたトイレも2箇所ある。
眺めの良いところには展望台が作られ散策に疲れたらあずまやで休めばいい。
山の中腹の建物には50人ぐらいのパーティは出来るほどの食器も準備されもちろん台所の什器も揃っている。
その前は広い芝生広場になっていて。桜や山坊子の木がぐるりと囲んで季節を彩っている。
春も秋もとりどりの花が咲き、小鳥たちは鳴き河内平野を見下ろす足元の虫たちもきれいに歌っていた。

バラ園もあって専門に手入れをする人がいた。
この庭を最も愛していた主が2年前に亡くなった。
徳秀苑の桜を待ち焦がれて枕元に届いたその日になくなった。

あととり娘もその前の年に病に倒れてむなしくなっていたから、残された家族はこの苑の管理まで心も回らないのだろうか。
このままもとの里山に戻すようなことを告げられていたが、今日たずねると道の両側は手入れされて荒れている様子もない。
思いがけないことでほっとしていると先に来ていた仲間が、バラ園もほかも足を踏み込めないほどになっているよと悲しそうな顔でいう。
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いつもたっぷりとした枝振りの桜が見られたのに、そこここを歩けば枯れた枝をはらった真新しい切り口のある桜の木が痛々しい。

なくなった人の3回忌で夫人をしのぼうと声を掛け合って、料理も持ち寄って花見の会をした。
2時間ほどは雑草を抜いたりの作業をして持ち寄った食べ物を並べてにぎやかなこと。
幼い子たちもたくさんきていて歓声が上がっていた。





不覚にも自分は折りたたみいすに足を取られて料理を盛った皿を持ったまま転んでしまった。
皿は無事だったが軽いぎっくり腰になったような気がする。
座っているときはなんともないが動けば痛い。

母を抱きかかえて車に乗せたり出来るんだろうか?
by ai-bannri | 2007-04-08 23:45 | 日記・あれこれ

桜通り

京都の亀岡との境の山竜王山の水を集めて流れる佐保側はふもと近くになると勝尾寺川もあわせて少したどると安威川に合流してやがては淀川に注ぐ。
この川は昭和の中ごろまでは街中を流れて天上川となり江口の手前で安威川に注いでいた。
たびたび氾濫して危険であったために今のようになり、もと川だったところは緑地にしたのだ。
およそ5キロほどの緑地公園はさまざまな花で彩られ、今の季節は1500本ほどのソメイヨシノが満開である。

三女の家に車を置いて公園の中を散歩しながらおよそ5キロの道を歩いて帰った。
あいにくの雨で気の毒なことだが今は桜祭りの最中なのだ。
今日は一日中雨だった。
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せっかくの雪洞も心なしか寂しい。
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良い天気の昼に来ればこんなきれいな花が迎えてくれる
(茨木市の公式サイトから)

桜祭りは10日ほど開催されて模擬店も作られて土日にはお茶の野点もある。
今年は明日(8日)まで。
by ai-bannri | 2007-04-08 02:09 | 日記・あれこれ

弁天さんの桜

次女の家に行く途中にある弁天宗の霊場冥応寺の桜が満開だ。
ちょっと寄って写真に撮る。
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参道の桜。
境内にはおよそ3000本の桜が植えられていて地元では弁天宗の聖地としてより桜の名所として親しまれている。
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もちろん境内の建物はとても立派で荘厳なものである。
弁天宗は奈良の五条の真言宗の寺、十輪寺の住職の妻であった智弁尊尼が昭和9年に弁才天の天啓を受けて起こったものである。
存命中は人々のあらゆる悩みに神示をあたえ、商売の先行きも指し示した。
商売の神といわれた、松下幸之助氏でさえ智弁尊尼の徳を慕ったという。
大阪の聖地は昭和29年に弁才天のお告げすぉ受けてここに作られた。
川端康成の同級生の笹川良一の寄進による・
8月8日は花火も盛大に打ち上げられて桔梗が丘は華やかに彩られる。
丘陵の続きには藍ちゃんもプレーしたゴルフ場がある。

弁天宗は仏教なのだろうか?
和歌山や奈良にある智弁高校などで学ぶと般若心経はそらで覚えるようだ。


冥応寺の他の写真は三宅さんのサイトから冥応寺(弁天さん)でご覧ください
by ai-bannri | 2007-04-07 00:38 | 日記・あれこれ

4月4日 雉縄手

夕べのご飯の残り物や卵焼きを入れて花見弁当もどきをつくり、母を連れて長女の新居に行く。
引越しの祝いを届けるついでに、天気がよければ桜のあるところに出向いて外で昼食にしようと思った。
天気予報ははずれて時ならぬ寒さと霧のような雨がいつまでも止まなかった。
あらかじめ暖かくしておいてくれた長女の部屋は心地よくてそこ居座って3時間ほどを過ごした。

もっと近い駅もあるけれど便利なので江坂には歩いても10分ほどでいつもは自転車を使っているという。
長女を産んだ産院はここから10分ほどのところにある、真新しい戸籍謄本を見せてもらう。
生まれたところに帰ってきたね。と自分にしか分からない思い出にほんの少し浸ってみた。

昔、淀の流れは今の茨田のあたりで大和川が合流したびたび氾濫して架けられた橋はたびたび洪水で流された。
鳥飼大橋も「とりかえ」が変わったとか聞いたことがある。
長柄の橋は特にもろくてあるとき橋杭の下に人柱を沈めて神への供えにしようということになった。
ありきたりな物語なら見目麗しい乙女が犠牲になるだろうがこんなところに話し合いが出てくる。
近在のおとなたちの話し合いでこの仲で「はかまに接ぎのあるものにしよう」ということになった。
一同が身に着けているはかまを見ると、なんと言いだしっぺの長者のはかまに接ぎがあった。
人柱になった長者には年頃の娘がいた。
父親が長柄の橋の供えになった後娘はものをいわなくなった。
ものはいわずとも聞こえた美人なので河内の国の長者のもとに嫁ぐことになった。
あまりにもかたくなに口を利かない新妻に心を開かないとみたか、離縁して摂津に送り返すことになった。

行列が竹邑のそばを通ったときの雉の鳴く声がした。
娘の籠の近くにいた婿は矢を番えるとその雉を射殺した。
長く口を閉ざしていた花嫁が
「ものいわじ、父は長柄の人柱、鳴かずば雉も撃たれざらまし」と詠んだ。
婿は妻の心のうちを汲み哀れと思ったかともに暮らしたという・

キジも鳴かずば撃たれまいの語源になっている雉縄手は阪急千里山線の豊津駅付近。
人柱になった長者は阪急電車の崇禅寺のあたりにいた。

帰り、千里山から流れる天上川の土手伝いに走れば桜並木が見ごろで気づいた母が声を上げて喜んでくれた。
by ai-bannri | 2007-04-05 01:51 | 日記・あれこれ

4月3日

今日も次女の家で留守番。
次女は近くにあるスポーツクラブで受付業務のバイトをしている。去年ま夜の10時から2時までの深夜のバイトだったけれど、朝食の支度がつらいのと子供もやや大きくなったので昼のシフトに変えた。
春休みは学校も幼稚園も休みなので目の離せない男の子の見張り役がいるのだ。

スイミングのインストラクターの訓練もしていて来年あたりはおば様相手の水泳のコーチになると言っている。
子供のときはまったく勉強には関心がなくて親の私をイライラさせたけれど、欲と二人連れなら学習意欲も湧くらしい。
いい気なもんだと思うが反対よりはマシだ。
学業が優秀で社会生活はまるでだめなのはいくらでもいると自らを慰めている。

今日は昼ごはんは塩ラーメンにしてとのお達しなので野菜をたっぷり入れてスープは別のなべで作ってみる。サッポロ一番ではあるが。

子供たちが学校と幼稚園に持っていく雑巾を縫う。
スポーツクラブで着用するタンクトップの襟のバイアステープが外れているのを修繕する。
バイト仲間の共有らしいが直してみるわと持ち帰っていたという。
よくやるよ、出来ないくせに。

天気は良いので庭の菜っ葉を引き抜いて耕しておく、
鹿児島に帰る前に夏野菜を植えるつもり

次女はジャガイモを買って帰った。
みんなでコロッケを作る。
いろんな形で面白いけれど、中味がジャガイモかかぼちゃかカレーかは分からなくなったじゃないの?。

マンションの近くの池のほとりの桜が満開だから見て帰ってねと声をかけられてそこを回って帰る。

長女と兄と甥に電話連絡をする。
明日と金曜日の約束を取り付ける。
by ai-bannri | 2007-04-03 23:52 | 日記・あれこれ

留守番

去年の終わりごろ、次女の家をたずねた時に、「ちょっとまってね」と、可愛いこえがして、程なく鍵を開けてくれたのは4歳の孫だった。
ブロックが入っている大きなバケツを踏み台にして大人の背ほどの高さのところにある鍵を開けてくれた。
まぁ、賢いこと、よく工夫したねと単純に喜んで褒めた。
まもなく帰ってきた次女にその話をすると、大いに落胆して、もう少しも目が離せないと情けない声を出す。
マンションの前の道は激しい交通量はないけれど危ないことには変わりない。
むかいの公園で聞き覚えのある声がすると出て行きたがる。
「右も左も見ずに飛び出すから危ないったらないのよ。
上の鍵は開けられないと思っていたのに。」

そんなことがあって子達を置いて出かけるときは妹の家に預けに行くか、留守番を頼んでくる。
今日は9時半に次女の家に着いた。


昨日の新聞に載っていた鶏もも肉と春キャベツのスープを作る。
鶏肉を一口大に切り塩をもみこんで5分ほど置く。
それをフライパンでカリカリになるほどに炒めてにんにくや土しょうがの刻んだのも加えて炒める。
煮込み用のなべにそれを移し、ざくざくと切った春キャベツもざっと炒めて加え水3カップ、日本酒1カップで煮込む。
味見をして塩のあんばいをみる。
ほとんど出来上がったスープ半分をシャトルシェフに移して、子供たちを連れてなべを抱えて、実家に向かう。11時30分。

母の昼ごはんは実家の冷蔵庫で残り物を探してみる。
この家は昨日はホワイトシチューだったみたい。
なべに移して、うどんを一玉加えて暖めて4つに分けて小鉢に盛る。
あと、ぶりの味噌煮と菊菜のおひたしもあったのでその二つを微塵に切って暖めたご飯に乗せた。
野菜の嫌いな男の子は納豆ご飯。

母にはお味噌汁も足したけれど、シチューは手付かずに残した。
その理由が、「昨日も食べた、あんまり美味しくなかった」
・・・・・ヲイヲイ・・・・・Orz

今日は母の用事でダイエーに買い物に行く約束になっていた。
とても3人の面倒は見切れないので、次女と合流することになっていた。
母は自分が足手まといになるとはちっとも思っていないので、早く行こうとせかす。
2子がまだ用事でこれないから待って、というけれど10分おきに「もうこんな時間や」と独り言。

以前、食材を日曜ごとに母が買出しに行く頃はダイエーではちょっとした有名人だった。
見るからに90歳なので目立つのだ。
2年ほど月日がたつとパートさんたちも入れ替わっているのか声をかけてくれる従業員の方もいない。

コーヒーの砂糖や蜂蜜などと自分もちゃっかりと肉などをかごに入れて子達の菓子も合わせて買い求め、大騒動のショッピングだった。
オデッセイに乗せるのひと苦労だったな。
高齢者を乗せるのは低い車のほうがいいわ。

店の中は4歳の孫も放し飼いに出来るけれど、駐車場や道を横切るときは嫌がる子の手を固く握り締めて離さない。


世の中の母親は、なべてこれぐらい神経質なのだ。
それなのに、今日耳にしたニュースに両親がパチンコに出かけている留守に4歳の子がベランダから落ちて死んだとあった。
毎年のように耳にするよ。
いい加減にして欲しい。

注文したお米の配達に間に合うようにと帰宅
17:20

「春キャベツ、とても美味しかった。もうほとんどないわ」と次女からメール。
できばえを案じていたので一安心。
実家の義姉も気に入ってくれるかしら。
by ai-bannri | 2007-04-03 00:29 | 日記・あれこれ

椿


産経新聞に服部緑地公園の植物園で椿の花が満開だとあったので。
見に行く。
服部緑地は大阪の代表的な公園で甲子園球場の33倍の面積があって。日本の民家博物や競技場。乗馬コース、野外音楽堂などがある。
椿のある植物園は少しはなれたところにある。
今頃は桜が咲いておれば大勢の人で賑わうところだろうが、まだ寒々とした感じだ。
入園料は270円、入り口はすぐに温室につづき、中には球根ベゴニアやランなどのきれいな花が植えられている
珍しい桜草を見た。
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『雲南さくらそう」名前のとおり中国の雲南のものかな。
温室を出るとメタセコイアの巨木が目に入る。
三月も終わりというのに芽吹きはなかなかのようだ。
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雪柳やクリスマスローズ、ムスカリなどの花も植えられている。
園内の遊歩道を歩いて椿山に向かう。
なんと椿は7000もの種類があるらしい。
この植物園には700種類ほどが植えられているようだ。
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植物園だから特にあでやかなものを選んで植えているのだろうか、大輪のボタンやバラの花を思わせるような見事なものがある。
椿といえば幼い頃その花を意図でつないで首飾りを作って遊んだりしたけれど、あんな一重のシンプルなのはあまり見当たらない
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青い葉よりも赤色の目立つ茂みは交配種だった。


熟年の夫婦連れがあれこれ語りながら散歩している・
「これはオリーブの木で実を料理に使ったりしているわ」
父君はとてもいい人だと思う。ふんふんときいている。
・・・・・・
おくさん!
それ、オリーブちゃう。月桂樹や


服部緑地
北大阪急行緑地公園駅からすぐ
植物園は270円
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by ai-bannri | 2007-03-31 04:32 | 日記・あれこれ