神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
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旅行を終えて・・5月15日

旅行中でもインターネットカフェぐらいは見つかるだろうと高を括っていたらまったく一軒も無かった。泊まったホテルや国民宿舎、かんぽの宿もそんな設備は無い。携帯電話はいろんな機能がついているようだが使い慣れないので、いざ旅行だからといっても急に使いこなせるものではない。
だから、日記のまとめ書き。

5月11日
母の帰郷の付き添い旅行の出発だが、三女の子供が4ヶ月健診で保健センターは交通の便も悪く、せめて片道だけでも付き合ってあげようと迎えに行く。
相変わらず孫のアトピーはひどい。たくさんの人が集まるところではいろいろな意見が耳に入って娘の神経をかきたてる。
 神戸の叔母を見舞ったあと、高速道路を西へ。
吉備SAで運転を交代して助手席で寝入っていたら、急に止まった気配に前を見るとパトカーが、・・・追い越し車線をいつまでも走っていたので、通行帯違反とやらで注意されていた。
1点と6000円の罰金・・・・あまり聞いたことはないなぁ?

とりあえずは運転を代わって下関のマリンホテルにpm7時に到着。
夕食時に見た関門海峡大橋のライトアップがきれい。

5月12日(木曜日)
下関から九州自動車道を通って終点まで道は指宿スカイラインにかえて、知覧のインターチェンジに、茶畑の多い知覧の町に入り特攻隊の記念館をみる。
1000名以上の若者の写真はどれも凛々しくてまた、痛々しい。
英霊達の安らかなことを祈る。
知覧を後にして金峰町の従姉妹の家による。伯父夫婦の仏壇に供え物をしてしばし雑談。
泊まり場所の吹上砂丘荘にはPM6時着

5月13日(金曜日)
 母や自分の生まれた村を訪ねる。
母の従姉妹に当たる親戚の家に行き先祖の仏壇に供えて祈る。
このあたりの畑の作物や果樹は、山からいのしし、たぬき、あなぐまなどが降りてきて
収穫を待たずにほとんど荒らされてしまうらしい。
美味しいサツマイモの産地だったのに買って食べているという。
でこぽんのような美味しいみかんはせっかく袋掛けしても破って食べられてしまうという。
生家の跡を見に行く。2年前にも母は見ているはずなのに竹等がうっそうを茂って荒れている様をみて母は声もない。
無論自分も複雑な心境だ。かの家は従兄弟の持ち物で彼が故郷を後にして伯母も亡くなった後は省みる人も無く荒れるにまかせ家等は朽ち果て、道路近くの菜園にしていたところの金柑の木がわずかな実をつけているのが妙にわびしい。
 幼馴染の数人と会って、そのあと枕崎、指宿、喜入の石油基地、開門岳の麓、池田湖のあたりを走りまわって、また吹上げ浜に帰る。

5月14日(土曜日)
 幼馴染から電話をもらって「帰ったんなら、お茶をあげたい」といわれたので勤め先の
笠沙町役場まで早朝に車を走らせる。広い砂丘の道は繋がっているようで行き止まりで、少し迷った。
 8時朝食、故郷を後に一路帰途につくけれど今日はとりあえず別府温泉へ。
道中阿蘇山に立ち寄る。火口付近まで近寄れば噴煙は地底から大量にわきあがり火の国の象徴と見せている。
ラジオなどのニュースによると一月半ほどは登山は禁止されて今日は久方ぶりの解禁だったという。運が良かった。
別府の地獄めぐりの近くにある鉄輪温泉の中にある「かんぽの宿」に4時半着、運転ばかりで肩がこった。しばし付近を散策するも夕方なれば観光客もまばらだ。

5月15日
8時50分に別府を出立。
宇佐市中津を経て、北九州市の小倉東から高速道路に入り九州自動車道、中国道、山陽道を経て大阪に5時に吹田インターに。
2300キロの旅だった。
by ai-bannri | 2005-05-15 23:03 | 日記・あれこれ