平櫛田中さん
2007年 03月 24日
高速道路を走っているとネールなどの用でなんということもないパーキングエリアに止まることがある。岡山の井原あたりに車を止めたらそれはトイレの他は飲み物の自販機ぐらいしかないところだった。
その代わり巨大な鏡獅子の像があった
ああ、このあたりは平櫛田中の生まれ在所だと近くによって見る
平櫛田中(1872~1979)
高村光雲などとともに日本を代表する彫刻家である。
人形師を師として腕を磨き岡倉天心にも師事したというからほとんど歴史上の人物だけれどつい最近まで生きておられたような気がするのは、強烈な個性が印象的だったからかしら。
六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは、百から百から、わしもこれからこれから
などという言葉を残し、100歳の時に向こう20年分の彫刻用の材木を準備したのだ。
ひらぐしでんちゅうと読む号は変わっているなと思っていたら、生まれたときは田中さんで平櫛家に養子に入ったらしい。
ああ、そうだったのか。
この日は西宮北まで走り池田から阪神高速をとって大阪市内に住む甥の住まいに立ち寄る。
ドアの前にワインを置いて。
その代わり巨大な鏡獅子の像があった
ああ、このあたりは平櫛田中の生まれ在所だと近くによって見る
平櫛田中(1872~1979)
高村光雲などとともに日本を代表する彫刻家である。
人形師を師として腕を磨き岡倉天心にも師事したというからほとんど歴史上の人物だけれどつい最近まで生きておられたような気がするのは、強烈な個性が印象的だったからかしら。
六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは、百から百から、わしもこれからこれから
などという言葉を残し、100歳の時に向こう20年分の彫刻用の材木を準備したのだ。
ひらぐしでんちゅうと読む号は変わっているなと思っていたら、生まれたときは田中さんで平櫛家に養子に入ったらしい。
ああ、そうだったのか。
この日は西宮北まで走り池田から阪神高速をとって大阪市内に住む甥の住まいに立ち寄る。
ドアの前にワインを置いて。
by ai-bannri
| 2007-03-24 02:19
| 旅行