神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
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思い込み

鹿児島から大阪に移動するには飛行機だと割高なので高速バスにした。
夜の7時47分に鹿児島空港あたりから乗れば翌朝の6時には千里中央あたりに着く。
座席は3列で27人乗り。
通路は狭いけれど足は伸ばせて隣の客に触れる気遣いはない。

早めに空港に着いたので「足湯」を試してみる。
泉質は日当山あたりの温泉と同じようだ。
それでも時間は有り余って、空港ビルの2階によって週刊誌を買って読む。
週刊新潮の12月21日号
少し気になるページがあった。
有名人が寄せる掲示板に「池内了」なるひとが京都・大阪を戦禍から救った『ランドン・ウオーナー博士』について情報を求めていた。

ハーバード大付属フォッグ美術館の東洋美術史家ランドン・ウオーナー博士は日本美術を守るべく米国の指令軍に働きかけて二つの都市を攻撃目標からはずしてもらった・・・・
実は自分も若いころはすっかり信じていた。
斑鳩の地にある記念碑を見に行ったりしたものだ。
ところが長年の間にいろんなものに書いてあるものを読むとそんなことはまったくなかったらしい。
それどころか京都などは盆地の大都市だから、原爆投下の実験地としては理想的な場所だ。
3番目の場所とするためにまったくの手付かずで残しておいたらしい。

さもありなん。

広島はB29の爆撃も無くてあの年に、あそこに疎開した人もいたと聞く。

池内先生は一切の武器を保持せずに「ピカソで日本をまもろう」と訴えている。
文化的遺産で日本を覆い尽くせば攻撃されることは無いのだそうだ。

自分たちが崇める神以外はまったく認めず迫害する人々が地球上におびただしくいることを彼はどう思っているのだろうか。
バーミヤンの仏たちのありようをニュースで見たことは無いのだろうか。


19日帰阪
20日 お茶のお稽古 炉の点前
    母を表敬訪問 足が異様にむくんでいる。30分ほどマッサージ
22日 2歳になる孫の誕生日祝い
23日 母の見舞い。 実家の窓のガラス拭き掃除
24日 亡姉の夫の見舞いと墓参。容態はあまりはかばかしくない
    兄と甥と古市のビッグ・ジョーで昼食

お正月に着せる着物の揚げを解いて丈を合わせ、名古屋帯に仕立ててあった絞りの帯を解いて半幅の帯にする。二重に入れてあった芯も一重にして軽く結べるようにしてみる。

20日に甥の長男に7歳になった誕生祝に図書券を渡した。
23日に兄からゆいの誕生日にと祝い金をことづかった。
すぐには渡せないけれど三女に電話をし「お礼の電話を入れるように」と伝えておいた。
ところが
三女は「おじさんはいらっしゃいますか」と兄を呼んで礼を言った。
日曜日に兄の車に乗り込むとほどなく、聞くには。
「あの祝いは私が準備してあげたのに三子さんは私には礼を言わなかった」と非難されたらしい。

身内は本当に少ないから密に付き合いたいと思っているけれど、こんなときに世間の人はどんな神経の使い方をしているのだろうか。
実家に行って実の兄の「悪口」を長々と聞かされるのはつらいものがある。
言葉ひとつで、女は気の済むことがあるのだから「ありがとう」は頻繁に使ってといえば
「俺にも言い分はある」部外者のお前に言われる筋合いは無い・・・・
そりゃそうだろう。

弱ってきた母の介護も大変だろうから自分が鹿児島に連れて行こうかと申し出たら、もとより鹿児島行きは快く思っていないので、「金も無いのに無理だろう」と一蹴された。
by ai-bannri | 2006-12-28 02:10 | 荒磯のうた