神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
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12月17日ー岩村昇先生の訃報

広島での被爆体験から医師を志した岩村先生は日本キリスト教医療協会の派遣でネパールに渡り、夫人の史子さんとともに結核の予防治療などに奔走された。12月17日ー岩村昇先生の訃報_d0038294_0532513.jpg
18年ほど滞在したが、原爆症が悪化して昭和55年に帰国し人づくりに力を尽くされた。
生命保険会社の勤務医をされていた頃何度かお世話になってお話を伺ったこともある。
穏やかで人格優れた方と思った。
短い時間の同行の途中、青年協力隊の事業の話をされ、
「ここで稼いだお金も資金にしているのです」と笑っておられた。

わたしたちは面接医師と、顧客の家か最寄り駅で会えばよいのだが、タクシーなどを暗に強要する医師もいた中で、先生は
「これぐらいは歩かないと」とかなりの距離でもすすんで歩かれた。
タクシーなどは外務員の自腹なのをよくご存知だった。
仕事は適格で昨今取りざたされているような不法な契約は許さない態度もあった。

フィリッピンの【マグサイサイ賞】を受けられたが。私達が細々と差し出す千円ほどの寄付金にとても感謝されておられた。
”生きることは分かち合うこと、貧しきものたちと” ”日本人は金持ちではなく心持になろう”といつも言っておられた

11月27日に亡くなられた。今日の新聞に「葬送」の記事が載った
享年78
先生の座右の銘
サンガイ・ジウネ・コラヤギ(みんなで生きるために)


12月17日ー岩村昇先生の訃報_d0038294_0183653.jpg明日の餅つきのためにお米を洗いに行く
3キロづつ10臼分
雑煮の具の買出し。

秋の日をさまざまな照り葉で飾った徳秀苑は、落ちる葉はみな落ちてやがて来る厳しい寒さに備えているが、程よく刈られたさざんかの緑の茂みの中から赤い花が顔を出して、冬こそ楽しいと囁いている
明日のもちつきに来る子供たちは何を見つけて遊ぶんだろうか





by ai-bannri | 2005-12-17 21:25 | 日記・あれこれ