神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
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湯木美術館

茶道には縁のある人ばかりの集まりなので、誰言うとも無く行きましょうということで、地下鉄を一駅淀屋橋まで行き道修町を通り抜け湯木美術館に。
湯木美術館_d0038294_0291493.jpg
こじんまりとしたビルの2階に展示会場がある。
ただいまは、鈍翁と耳庵の風流松永耳庵(まつながじあん) 1875~1971
本名安左衛門。電力王といわれ、実業界、政界でも功績を残した数寄者。耳順(六十歳)から茶の湯を始めたことから、耳庵と称した。収集した茶道具の多くは福岡市美術館に収められている。

益田鈍翁(ますだどんおう) 1848~1938
本名孝。三井物産を創立して三井財閥を築いた実業界の重鎮で、近代数奇者の代表者。明治時代初期に価値の暴落した美術工芸品を、文化財保護の立場で収集するうちに、茶道具の名品を手に入れて茶の湯にのめり込んだ。以来、毎年一回主宰した「大師会」には、メンバーの財界人が茶席に名品茶道具を飾り立てて大評判をとり、茶の湯を隆盛に導いた。この形式を取り入れた茶会が、現在の大寄せ茶会となって定着している。
=2名ともウェブページの[茶の湯人物輯]から引用

国宝級の茶器や書などを観覧したが耳庵の書に面白いものがあった
 
煙草は吸うものでない 吹くものだ
   酒は飲むものでない 楽しむものだ
     女はほれるもので、ほれられてハつまらぬ
      茶は喫むだけで 理屈ハぬきだ」  
 乙未浅春 耳庵八十一歳

う~ん。ホリエモンとは対照的だ
湯木美術館_d0038294_045155.jpg写真は瀬戸肩衝茶入れ 銘は春山蛙声(小堀遠州の手による銘があった)
by ai-bannri | 2005-09-18 00:46 | 日記・あれこれ