神々の鎮座まします霧島の山々を宮崎県の側から眺めます


by ai-bannri
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心配事

鹿児島の家にはテレビは無いが低い音で鳴らしているラジオはニュースも拾い上げて知らせてくれる。
インターネットの速報を見れば、たった今あった重大ニュースも隣の家の出来事のようにとどく。
人気のある歌手と現職の大臣が死んだ。
松岡さんは毀誉褒貶それぞれだがメディアは悪口ばかりを言い募るので聞き続けると眉はつばでいつも濡れている。
農政には英知を発揮して悪い印象をぬぐってほしかった。
  
合掌


年金制度が施行されたとき、母の住民票は自分のところにあった。教えてくれる人があって手続きをして掛け金を払った。
月額にして100円だった。

親戚の年寄りは1円も払わずに年金を受給して
「お上のおかげで焼酎代が助かる」と喜んでいた。
1000円だといっていたが、支給は2ヶ月に一度だから月額500円だったんだろうか。
大学卒の給料が15000円ぐらいのころだ。

母は仕事をやめて兄の扶養家族になり家事一切を任されてはいたが兄夫婦の家計も潤沢ではなかったのだろうか、いつも「小遣いに不自由している」とぼやいていた。
食材をケチってへそくりをすればよかろうと今では思うが、母の性分では100円で買ったものを150円したと言えない。

姉と暮らしている私たちのところに日曜日の毎に泣きに来るので、たまにはバスツアーに連れ出していた。
一人でも参加できる百貨店の友の会などを教えてやって1年ほどは会費を払ってあげた。
やがて姉も私も結婚して母の愚痴どころではなくなったし、義姉も「義母に小遣いをわたす」事に気がついて、母の旅行は日本全国を網羅するようになった。
65歳で年金の受給が始まったときにはとても喜んでいた。
「万里のおかげだ」といわれたときは何のことかと思ったが手続きをとって月100円の掛け金を払ったことだった。

そのころから母から孫たちに祝い金が来るようになった。
内孫も外孫も差別なくきっちりと忘れずに。

年老いてからは日にちのかかる旅行や海外はいつも付き添っていたが全部母の積み立てた年金がその資源だった。

今、国民の年金は数多くの問題を抱えているがマスコミや野党の政治化がこぶしを振り上げているのは違和感がある。
事務管理のしかたを民間の銀行とと比べているが、社会保険庁の仕事ぶりも国会で論じてみろ。


母が兄の家で家事が出来なくなって、「面倒をみてもらう」状態になっていらい私の憂鬱は富士山よりも高くフィリッピン海峡よりも深くなった。

兄の言動もつじつまが合わなくなった。
母が元気なころは彼女の老後の話に及ぶと、金はいくらでも出すというかと思えば、いまはディサービスの料金にさえ敏感になっている。

大都会で母の終の棲家を準備するには大金が要るが、故郷のここならばわずかの資金で済む。
それでもベッドを買ったり車椅子を手に入れたりさまざまなことがあって、母は私の困窮をみやって大阪に帰ったときにお礼もかねてと少し余分にくれた。
年金を蓄えているといっても高が知れている。
誰からも援助がなければ母と自分のわずかばかりの個人年金が頼りなのだ。

痛めたからだがよくなるまではと一人で帰った私のパソコンに後を追うようにして兄からのメールがあった。
母の預金通帳の記載金額と財布の中身が合わない。
「介護は名目で目的は母の金だったか」とわずか3行。
あいさつ文も、身体の気遣いも何も無いメールだった。

余分に貰ったのは10万円ほどだ。

甥に言わせればお互いのコミュニケーション不足が因だというが。それは無理な相談だ。
あの二人は自分の思いを言うだけで人の言葉を聞く耳は無いのだから。

こんなことを思われていた抱けでも腹が立つが、母の言い分も不愉快だ。
貸せといわれたから貸した→→万里はお金が無いのでかわいそうだからあげた。

『全部おろしてあんたの好きにして・・・・』なあんて言っていたくせに。

腹が立ったついでに昔のことも思い出した。

嫁姑で義姉が兄に不平を言うと兄がすぐ反応して母を責める。
すると母は「それでも、万里がそういうた」
で、兄はいつ会っても私を猜疑の目で見る。

勘弁してくれ。日本各地放浪の猛烈社員の妻で4人の子供を抱えて耳の遠い母親に電話などかける暇があるかいな。

へんてこなメールを貰ったショックが大きくて一月ほどをポカ~ンと過ごしていた。
ほんとうは20日ごろに息子に母を連れて来てもらおうと思っていたが、甥に言わせると「あんたの息子一人では信用ならん」らしい。
それもまあもっともではあるので、また大阪に帰ることにした。
明日、息子が迎えに来てくれる。
3日ほどこのあたりを観光してもらって、ハンドルを時々盛ってもらって陸路を取って大阪に。

母の介護は困ったことではあるが、もうひとつ心配事がが増えた。

およそ、ひとを不快にさせるメールなりはがきなりだすときは推敲しないかなぁ???
タイピングミスで「KAIGO」を「KIGO」とうって「季語」に変換されているのに気がつかないなんて、そんなことをするような人ではない・・・・兄の精神状態は大丈夫なんだろうか。

電話先で私の様子を察した息子が「伯父さんの心配は伯父さんの家族がするんやで、余計な心配なんかしんどけよ」
# by ai-bannri | 2007-05-29 00:12 | 日記・あれこれ

犬飼の滝② 和気湯

5月9日は整形外科に出向いてレントゲンを撮りリハビリの治療をほどこして貰う。
「悪くはなってませんね。良く我慢しましたね」

もう、はずしてもらえませんか?

「せっかく我慢したのに、もうちょっとでしょう」

このギブスは重さはどれぐらいなんだろう。
・・・・・
温泉の「全身浴を」したい。

午後は気になっていた犬飼の滝を見に行く
和気神社にも参って、展望台の上から滝を見下ろして付近を探ってみても下へ降りる道は無いような気がする。
そろそろと細い道を引き返すとさらに小さな分かれ道がある。
2キロほどたどると広い駐車場に出た。
駐車場のの横手には家があって庭先にこいのぼりが二組立っている
犬飼の滝② 和気湯_d0038294_23332556.jpg

このあたりは幟に子供の名前をしるしている。
ここは和磨君と祐太郎君だ。

少し歩くと和気湯の札があった
「日没後の入浴はご遠慮ください」とある。
個人の所有らしい。あのこいのぼりの家のお風呂かしら。
犬飼の滝② 和気湯_d0038294_23365511.jpg


おりょうさんと新婚旅行に来た坂本竜馬がこの地を痛く気に入って10日も滞在したと土佐の乙女姉さんに書き送っている。
彼は塩浸温泉にも入ったらしいから新婚旅行は温泉三昧だったのか。

ひとけはほとんどないが、この温泉に入れる好事家は居るんだろうか。
手を入れれば湯加減はころ良い。

中津川のせせらぎの心地よい音を聞きながら過ぎの木立を歩いていく。
犬飼の滝② 和気湯_d0038294_2344467.jpg


道はひとつしかないが立て札は随所にあって何の不安も無いが。
ごみなど落としたらいけませんよ!
犬飼の滝② 和気湯_d0038294_234631.jpg

300万だったり1000万だったり・・・・

10分ほど歩いただろうか目の前に大きな滝が見えてきた
犬飼の滝② 和気湯_d0038294_23492377.jpg

展望台からの眺めよりずっと良い
近づくとこんな感じ
犬飼の滝② 和気湯_d0038294_23503256.jpg


詳しい看板があって滝の規模や竜馬たちのこと、この滝を読んだ歌人たちの歌などが記してある。
犬飼の滝② 和気湯_d0038294_23522358.jpg

瀑布の高さ36メートル
# by ai-bannri | 2007-05-14 23:55 | 旅行

カーネーション

今、チャイムがなって花が届いた
カーネーション_d0038294_18344661.jpg

次女からだけれど子達がみんなで送ってくれたのだ。
ありがとう
たくさんあるつぼみが咲ききるころには元の体になる。

母が居たときは花などを取り去ってすっきりさせていた玄関にまた台を置いて飾ってみる。
# by ai-bannri | 2007-05-14 18:37 | 日記・あれこれ

犬飼の滝①

和気神社と犬飼の滝はひょんなことから見つかった。
妙見温泉は国道沿いのありようはあまり特徴も無い温泉街だ。
湯治場の感じがする
犬飼の滝①_d0038294_17453053.jpg

一泊二食で5千円ほどで何日ものんびり出来そうだ。
だが、知る人ぞ知る・・・・いいや日本中に知れ渡る「雅叙苑がある

2泊ほどすれば雅叙苑の醍醐味を味わえるそうだ。
2泊で最低ろくまんえんはするけれど。(゜o゜)
わお!2か月分の生活費(除く家賃)だ。

場所だけでもご案内しましょうと狭い山道に入っていった。(5月6日)
入り口を通過して
犬飼の滝①_d0038294_17525483.jpg


たしか天空の森というとんでもない施設もあるはずと探しながら車を進めるうちに。
・・・これは方向違いだった・・・
途中から道路が広くなって傍に展望台のようなところがある。
車を寄せて眺めてみると大きな滝が見える
犬飼の滝①_d0038294_1758286.jpg


天気も思わしくないし、自分は胴体に土管のようなギブスをまいているし・・・・
その滝を探検しようという気分ではなかった。
すぐ近くにある和気神社を参拝した。
かすかに藤の花が見られた。

次の日に大阪へ帰った客人からメールがあった。
「昨日見たあの滝が今、ワイドショーで話題になっているよ!」
 誰かが身投げをしたらしい

犬飼の滝②へ
# by ai-bannri | 2007-05-14 18:05 | 旅行

えらい人 和気神社にて

「あんたたち、宮崎から?あんたたちは偉いねえ」
大きな声が高いところからして思わず振り返った。

咲き終わった藤棚の花柄を手入れしている男性が7人ほどの女性たちに話しかけている。
東国原さんを知事にした「あんたたち」は偉いというのだ。
「日本中の人が宮崎県の知事の名前を知っているよ、鹿児島の人は誰も知らんよ。知事が伊藤だなんて」

知っているじゃん・・・・・

えらい人 和気神社にて_d0038294_21413182.jpg


鶏ウイルスのときも風評被害がひどくなると心配したけれどあん人のおかげで何にもならんかったもんね。女性の一人がつぶやいていた。

和気神社はGWに滞在した客人とドライブしてひょんなことから見つけた。
近くにある「犬養の滝」をもう一度見たくてここにもやってきた(5月9日)
えらい人 和気神社にて_d0038294_2314890.jpg


岡山県の和気神社は有名だが、こんなところにもあるなんて、とあちこちにある案内板を読みふける。
称徳天皇の寵愛を受けた僧、弓削の道鏡に天皇の位が脅かされていたとき和気清麻呂は宇佐八幡の神託を受けに豊後に向かいます。
旅の難儀に足が萎えて動けなくなったとき白い猪300頭が現れて清麻呂を宇佐八幡に導いた。
[君臣の秩序を重んじ皇位には皇統から就けよ」のご託宣を持ち帰った清麻呂は称徳天皇の怒りを買い名前を「ワケベノキタナマロ」と変えさせられ「大隈の国」に流された。・・・・のだ。

この地が清麻呂ゆかりの土地だというのは長らく知られていなかったが、幕末のころ、島津斉彬公は三条実美の依頼を受けてこのあたりを調べこここそが清麻呂公ゆかりの地と定め自らしるしの松の木2本を植えられた。
(松ノ木は後年枯れたので島津家の子孫の方が楠2本を植えられて今は大木に成長している。

和気神社には狛犬の代わりに猪の石の像がある。
なんと本物の白猪も飼われている、
愛称が「あいちゃん」だなんて・・・・悪い冗談のような気がしないでもない。

藤の花は鹿児島は4月の下旬ごろが見ごろのようだ。
宮崎の人が口々に来年は必ず4月に来ようねといっていたように、私もきっと・・・
えらい人 和気神社にて_d0038294_2303312.jpg




犬飼の滝につづく
# by ai-bannri | 2007-05-13 23:03 | 旅行